an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『続・悩む力』を読んで

 「二度生まれ」「己を忘するるべし」など節々に聖書的思想があり、日本の社会において新田を耕すような機能を果たしていると思う。筆者はクリスチャンであるらしいから、ここからさらに進展して「十字架の悩み」に繋がるような作品を期待したい。

 何度も躓きながら、私たちは一度も徹底して後ろを振り返ることなく、やり直すことも考えず、たちどまることすらなく、ただ「失敗を忘却する」という方法のみで、今日までやってきたように思うからです。

 一部のメディアやマスコミの動向などを見ると、忘れることの得意なこの国の人たちは、早々と「3.11」を忘れようとしている模様です。過去にとらわれるより、大切なのは未来だ―とかいう、いつもの言説とともに。またしても「一度生まれ」ですまそうとしているのです。その背後にある問題の根の深さにも気づいていないように思えてなりません。

136頁から引用

  確かに「景気回復」「オリンピック誘致」とかの「未来志向」の動向とは無関係に、1日300トンの汚染水が、目に見えないところで海に垂れ流されている。本当に未来へ進むということは、過去の失敗に真摯に向き合うことである。

 これを霊的なメッセージとして考えてみる。現代の福音宣教はどうだろう。「過去は変えることができないのだから、前を向いて生きよう。神様はあなたを愛しておられる」と言われ、何となく教会に通い始め、いつの間にか洗礼を受け、気が付いたら「クリスチャン」と呼ばれるようになっていた、という人は少なくないのではないだろうか。清算されていない過去の失敗や罪の重荷を抱え、納得できないまま「日曜日の霊性」で何とかやりくりしていると思っている人はいないだろうか。

 目に見えない地下に流れている水は、どんな水だろうか。