獅子がいる!?
ヨハネ13:1-51 過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
2 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、
3 イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
5 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
悪魔が十二弟子のひとり、イスカリオテのユダの心に働きかけ、裏切らせようとしていることをイエスは知っていた。よりによってご自身が選んだ一人に対してである。しかしその悪魔の働きは、イエスが弟子たちを最後まで愛し通すその愛を害することはできなかった。また、イエスがご自身が何者で、何処から来て、何のために生き、どこへ行くのか、というアイデンティティーの確信を揺るがすことはできなかった。そして何より、弟子たちがやるべきだったことを遜って敢えて行うその行為を阻止することはできなかった。イエスは、自分を裏切るものの足さえも洗ったのだ。
確かに神の敵の策略は、狡猾でしかも強力である。しかしその総力を尽くして攻めてきたとしても、私達のうちに住むイエス・キリストの霊を害することはできないのである。そのキリストのうちにとどまるのなら、何事も私達を害する者はないのだ。
箴言22:13
なまけ者は言う、「ししがそとにいる、わたしは、ちまたで殺される」と。
26:13
なまけ者は、「道にししがいる、ちまたにししがいる」という。
十字架の上で勝利したキリストだけをひたすら見続けよう。そうすれば、私達に完徹するキリストの愛も、キリストにある私たちのアイデンティティーも、私達がなすべきことをする力も、だれも妨げることはできないだろう。
Ⅱペテロ1:3-11
3 いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。
4 また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。
5 それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、
6 知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、
7 信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。
8 これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。
9 これらのものを備えていない者は、盲人であり、近視の者であり、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れている者である。
10 兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。
11 こうして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。