an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「現場レポーター」と「TVコメンター」の誘惑

ルカ10:30-38

30 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 

31 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。 

32 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。 

33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 

34 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 

35 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。 

36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。 

37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。 

  私達はいつの間にか、「現場レポーター」とそれをスタジオで聞いている「TVコメンター」的な立場に立ち、さも善きサマリア人と同じことをしたかのように思い込んでしまいがちである。強盗に襲われて道で死にかけている人を見て、社会は如何に不義と危険に満ちているか語り、祭司やレビ人ら神を信じる人々の無慈悲と偽善を報告し、それを聞き、SNSにもコメントする。そしてサマリア人の行動を見て涙し、これまたコメントする。

 しかし、オリブ油とぶどう酒を注ぎ、自分の布をちぎって包帯してやり、旅の予定を変更して宿屋に連れて行き介抱してやり、介抱のために二デナリを払ったのはサマリア人であって、「現場レポーター」でもなければ「TVコメンター」でもない。

 「あなたも行って同じようにしなさい」というイエス・キリストの言葉は、私と貴方に語られているのだ。そして私も貴方も、この律法学者と同じように、いつも「自分の立場を弁護しよう」と反応し、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」という詭弁をつかう誘惑にさらされている。尤もらしい聖句を引用しながら。