an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

自分の叩き売り

ガラテヤ1:10

今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。 

 キリストの僕でないとすれば、誰の僕なのだろうか。

 自分を愛してくださり、選ばれたキリスト以外に、全身全霊で仕えるに値する存在があるだろうか。自分自身か。どこかのエライひとか。富か。成功か。幸せか。それともこの世の君か。

 「人々の歓心を買うため」や「人に認められるため」に神から管理を委ねられたものを「叩き売り」してはならない。クリスチャンにとって、知性も能力も感情も経験も、そして肉体さえも、全ては神によってキリストの命の代価を通して贖われたものである。

Ⅰコリント6:19,20

19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 

20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。