an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

あれはもうおとなです。

ヨハネ9:22,23(新改訳)

彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちをおそれたからであった。既にユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば 、その者を会堂から追放すると決めていたからである。そのために彼の両親は、「あれはもうおとなです。あれに聞いてください」と言ったのである。

 「あれはもうおとなです。」生まれつき盲目だったがイエス・キリストによって癒された男の両親の言葉は、非常に意味深い。両親は責任回避と自己保身という卑しい目的で言っただけであったが、ある真実を言い当てていた。確かにこの癒された男は、一瞬にして霊的に「大人」となっていたのだ。つまり、自分の言動に対して責任を持つことができる存在に成長していた。たといその言動が原因で、宗教的指導者たちから反発や非難、侮蔑を受けることなったとしても。

 実際、この男の証しは、実に力強く美しい。自分が経験したイエスの恵みを、実直に語り、指導者たちの圧力にも屈せず、彼らに「塩のきいた」回答をし、彼らに真理を「教える」ほどである。

24  そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。 

25  すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです」。 

26  そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。 

27  彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。 

28  そこで彼らは彼をののしって言った、「おまえはあれの弟子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。 

29  モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。 

30  そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。 

31  わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。

32  生れつき盲であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。 

33  もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。 

34  これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。

偽善者たちに外へ追い出された男をイエスは捜し出し、そして個人的にご自身を啓示された。

35  イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。 

36  彼は答えて言った、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが」。 

37  イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。 

38  すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。

 何と美しい情景だろう。生まれてから何も見たことがなかった男が癒され、今イエスの目の前でひれ伏して、イエスを救い主として礼拝しているのである。

 同じエルサレムの町で、同じようにイエスの力によって癒され、同じようにイエスに愛されながらも、イエスから離れて、権威者たちのところへ消えてしまったベテスダの男とは対照的である。

 

「もうおとなです」

 

主よ、キリストに似たものになるまで絶えず成長させてください。