an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

教義や偏見による「モザイクフィルター」

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 上の作品は、ウィキペディアの「水墨画」のページにある、長谷川等伯作『松林図屏風 左隻』(東京国立博物館、国宝)の写真である。

 中と下の映像は、上の作品にモザイク加工をしたものである。特定の位置の区画内の色の占有率から「代表する色」を決定するアルゴリズムによって、「フィルターがかかった」イメージである。

 中間のイメージはまだ色の「滲み」を感じさせるが、一番下のイメージからはもう、原画の柔らかで空気を感じさせるようなグラデーションを想像することはできない。

 実感するのは難しいのだが、聖書を読むとき、特定の教義や偏見による「モザイクフィルター」がかかってしまって、聖書自身が表している「際立ったコントラスト」や「深みのあるグラデーション」を見失ってしまうことがある。「これは『信仰による義認』を証明している聖句」とか、「ここはカトリックはこういう風に解釈し、プロテスタントでは異なる解釈をする」といった具合に、である。それは原語で読もうが、他国語で読もうが関係なく生じる、人間の認識による作用である。

 モザイク加工した屏風を見ても何の感動もないのと似て、私たちの持っているフィルターが強ければ強いほど、聖書を読む楽しみや喜びは減っていく。すでに持っている知識や偏見が邪魔して、新鮮な光を放たなくなってしまうからだ。これは程度の差はあれど、多くの信仰者が経験していることではないだろうか。

 しかし聖霊なる神が生きておられ、今でも遜る魂に対して、「幼子のような心」で聖書を通して御声を聞くように導いておられると信じる。

詩篇19:8(新改訳)

主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、

主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。

サムエル上3:1-10

1 わらべサムエルは、エリの前で、主に仕えていた。そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。

2 さてエリは、しだいに目がかすんで、見ることができなくなり、そのとき自分のへやで寝ていた。

3 神のともしびはまだ消えず、サムエルが神の箱のある主の神殿に寝ていた時、

4 主は「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれた。彼は「はい、ここにおります」と言って、

5 エリの所へ走っていって言った、「あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります」。しかしエリは言った、「わたしは呼ばない。帰って寝なさい」。彼は行って寝た。

6 主はまたかさねて「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとへ行って言った、「あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります」。エリは言った、「子よ、わたしは呼ばない。もう一度寝なさい」。

7 サムエルはまだ主を知らず、主の言葉がまだ彼に現されなかった。

8 主はまた三度目にサムエルを呼ばれたので、サムエルは起きてエリのもとへ行って言った、「あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります」。その時、エリは主がわらべを呼ばれたのであることを悟った。

9 そしてエリはサムエルに言った、「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」。サムエルは行って自分の所で寝た。

10 主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。

エペソ1:17-23

17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、

18 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、

19 また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。

20 神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、

21 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。

22 そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。

23 この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。