an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ハデスにおいて(2)御子の死

ハデスにおいて(1)御子のまなざし - an east windowにおいて、御子イエス・キリストが、「アブラハムのふところ」にいるラザロと、「ハデス」というところで炎に包まれ苦痛に悶える金持ちの男のことを見て、描写していることについて書いた。

 そしてその二つの「場所」が、「大きな淵」と呼ばれるもので行き来できないかたちでで分離していることも見た。

ルカ16:23;26

23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。

24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 

25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。 

26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

 しかし御子のこの説明以前の旧約聖書の啓示においては、「アブラハムのふところ」と「ハデス」の分離というのは示されておらず、ただヘブル語で【שאול Sheol シェオル】と呼ばれていた「死者がいる国」の存在が啓示されていた。そしてその「シェオル」は、旧約聖書ギリシャ語訳において「Ἅιδης ハデス」と訳されていた。

 ちなみに旧約聖書においてこのシェオルには定冠詞がつかわれていないことから、シェオルは固有名詞であったと思われる。

創世記37:35

子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。 

民数16:30-33

30 しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。 

31 モーセが、これらのすべての言葉を述べ終ったとき、彼らの下の土地が裂け、 

32 地は口を開いて、彼らとその家族、ならびにコラに属するすべての人々と、すべての所有物をのみつくした。 

33 すなわち、彼らと、彼らに属するものは、皆生きながら陰府に下り、地はその上を閉じふさいで、彼らは会衆のうちから、断ち滅ぼされた。

 しかし「陰府 よみ」と和訳されている【シェオル】は、ただ単に生物学的生命を終えた人間が葬られる物理的な場所を指しているわけではないことは、以下の聖句でも理解できる。

ヨブ14:13

どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、わたしのために時を定めて、わたしを覚えてください。 

詩篇139:8

わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。 

 実際、人間の魂は肉体の死を越えて存在するものであることを、御子自身が明示している。

マタイ22:31-32

31 また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。 

32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。

 「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と現在形で語り、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」と啓示している。

 

 そして御子イエスは、地上の福音宣教活動において、ご自身が苦難の死を通り、ハデスに行くことを預言していた。

マタイ12:40

ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

ヨナ2:1-2

1 ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、 

2 言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。 

 そして「人の子も三日三晩、地の中にいる」と預言していた御子は、十字架の上で「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と宣言された。

ルカ23:39-43

39 十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。 

40 もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。

41 お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。 

42 そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。 

43 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。 

 悔い改めた強盗の言葉「あなたが御国の権威をもっておいでになる時」に対して、御子が「きょう」と答えているのは興味深い。つまりそれは「いつ来るかわからないような漠然とした将来」の慰めと希望ではなく、「今日」という非常に限定された時間のなかで、その信仰の報いがあることが強調されていたのである。しかも、当時の時間の概念からすれば、「その日の終わり」であり、「次の日の始まり」であった日没が数時間後に迫ったいたのである。

 御子が十字架の上で息を引き取り、葬られた後、復活までの期間のことを明確に知ることは難しいが、パラダイスと呼ばれている「アブラハムのふところ」に「降りていき」、そこで贖いのわざの勝利を宣言したと解釈できる聖句がいくつか存在する。

エペソ4:8-10

8 そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。 

9 さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。 

10 降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。 

Ⅰペテロ3:18-19

18 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。 

19 こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。 

 この「宣べ伝えることをされた」と和訳されている動詞【κηρύσσω kērussō】は、「布告する、喧伝する」という意味を持ち、「王の重要な布告を使者が公に伝える」イメージである。

 そしてエペソの聖句が暗示しているように、ハデスの一部であった「アブラハムのふところ」を御子の臨在(詩篇139:8の完全な成就とも言える)の故に「パラダイス」と呼び、死からの復活と共に、そのパラダイスを第三の天まで引き上げたと思われる。

 だからこそ、使徒パウロは「第三の天にまで引き上げられ」と「パラダイスに引き上げられて」を並行節として表現しているのだろう。

Ⅱコリント12:1-4

1 無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。 

2 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に・・肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。・・第三の天にまで引き上げられました。 

3 私はこの人が、・・それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。・・ 

4 パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。 

 そして神の永遠の計画の完成の時、つまり新天地が創造される段階では、その「パラダイス」は、「新しいエルサレム」に昇華されるようである。

黙示録2:7

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。 

黙示録21:1-4

1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 

2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 

3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 

4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 

黙示録22:2

都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。 

 そして反対にハデスは、神による最終的な裁きを受け、死と共にゲヘナとも呼ばれる「火の池」に投げ込まれることになる。

黙示録20:11-15

11  また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。 

12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。 

13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。 

14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。 

15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。 

 

(3)へ続く