an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストの出現とその御国とを思い

Ⅱテモテ4:1-5

1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。 

2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。 

3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、 

4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。 

5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。  

 「キリストの出現とその御国とを思い」

 自分を取り巻く状況に変化の兆しがなく、むしろ悪化しているようにしか思えない時、まるで地平線の彼方まで続く砂漠を歩いているように感じる時、暗闇の中で一人佇み、どちらへ行けばいいかわからない時、信仰者には「一つの約束」を思う恵みが与えられている。それは、聖霊の働きによる。

 使徒パウロがこの手紙を書いた時、彼は牢獄に閉じ込められ、殉教が間近に迫っていることを自覚していた。また手紙の受取人であるテモテに対しても、状況が良くなるだろうと言って励ますどころか、さらに困難な時代が来ることを警告した。

 しかし使徒パウロの焦点は、そのような地上的近未来に合わせられてはいなかった。移り行く一過性のものでなく、変わることのない「キリストの出現とその御国」の光によって、自分が置かれている状況と果たすべき任務を見ていた。

 ユートピア的楽観主義によって近未来を想像する人もいるかもしれない。この世の不義不正に力を奪われて、川に流されている落ち葉のように惰性でしか生きられなくなっている人もいると思う。谷底に突き落とされ、これ以上落ちないために日々必死に抵抗している人もいるはずである。

 私たちがどのような状況にいようとも、主なる神の永遠の計画は着実に成就へ向けて進んでおり、その真理の光は全ての魂を照らそうと、今、静かに輝いている。

マタイ6:10

御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。 

マタイ6:33

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。