an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

私達は自分の知っていることを語り、また自分の見たことを証ししている

 ヨハネ3:11

よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。 

 わたしたち(複)は自分の知っている(複)ことを語り(複)、自分の見た(複)ことを証ししている(複)のに、あなたがたはわたしたち(複)の証しを受け入れない。

 御子はここで使っている一人称複数形について、いくつかの見解がある。

  1. 尊厳の複数【pluralis majestaticus】
  2. イエス・キリストと洗礼者ヨハネ
  3. イエス・キリストと全ての預言者
  4. 三位一体の神
  5. イエス・キリストと弟子たち
  6. レトリックな複数(ヨハネ3:2のニコデモが使った「私たち」に対する対比か。)

 判断の難しいところである。文脈的に考えると、テーマが御霊による新生と導きなので、ヨルダン川における御子のバプテスマの際に、御霊が御子の上に留まり、公的宣教活動が始まり、洗礼者ヨハネと御子イエス・キリストが神の国の到来と悔い改めについて語っていたことを暗示している可能性もある。

ヨハネ1:32-34

32 ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。 

33 わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。 

34 わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。 

 多くのパリサイびとらや律法学者が、ヨハネの証しにも関わらず、それを信じて洗礼を受けることを拒んだことも、「あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない」という御子の言葉に通じるものがある。

マタイ21:32

というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。 

ルカ20:1-6

1 ある日、イエスが宮で人々に教え、福音を宣べておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと共に近寄ってきて、 

2 イエスに言った、「何の権威によってこれらの事をするのですか。そうする権威をあなたに与えたのはだれですか、わたしたちに言ってください」。 

3 そこで、イエスは答えて言われた、「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。 

4 ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」。 

5 彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。 

6 しかし、もし人からだと言えば、民衆はみな、ヨハネを預言者だと信じているから、わたしたちを石で打つだろう」。 

 ただ冒頭の言葉のすぐ後に、御子が自身のことを「天から下ってきた人の子」として、第一人称単数を使って語り、またその後、洗礼者ヨハネも自分と「天から来る者」御子とを分別して語っているのは意味深い。

ヨハネ3:12-15

12 わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。 

13 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。

14 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。 

15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。 

ヨハネ3:31-32

31 上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。 

32 彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受けいれない。 

 「全てのものの上にある」方が「天から下ってき」、荒野の蛇のように(民数21:7-9参照)十字架の上で自ら命を捧げ、復活の後に、信じる者たちに聖霊を遣わした。

 その聖霊によって土の器である私たちに「天上のこと」を啓示し、その無限の富を共有することを善しとされた。まさに、アメージング・グレースである。

エペソ2:1-10

1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、

2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。 

3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。 

4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― 

6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 

7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。 

8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 

9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 

10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。