an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「帰ってはならない道」「覚えていなければならない道」

 イスラエルの民のエジプト脱出のルートやシナイ山(ホレブ山)の位置に関して調べてみると、意外にも多くの説があり、また互いに相反する情報が混在していて、詳細を知ろうとする思いを非常に困惑させる。問題の一つは、聖書に記録されている地名の多くに関して、現在の地理的位置がわからないことである。このテーマに関する「良心的な」ルートマップなどは、地名の後に「?」を付けているが、単なる推測が定説のように扱われている場合さえもある。

 以下の添付図は、推定しうる軌跡として表示されているが、いくつかの地名には「?」が付けられている。

f:id:eastwindow18:20180420151701j:plain

 

 またごく小さな場所の地名に限らず、ある程度の広さをもった地方についても、その領域について様々な説があり、さらに時代によってその領域も異なる可能性もあるので、実に難しい問題である。

 例えば、聖書には明確にホレブ山(シナイ山)がミデアンの地にあり、モーセは40年間その地で遊牧民として生活し、そして神の声を聞いたことが記述されている。

出エジプト2:15-16

15 パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。 

16 さて、ミデヤンの祭司に七人の娘があった。彼女たちはきて水をくみ、水槽にみたして父の羊の群れに飲ませようとしたが、 

出エジプト3:1;12

1 モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。 

12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」 

出エジプト4:19

主はミデヤンでモーセに言われた、「エジプトに帰って行きなさい。あなたの命を求めた人々はみな死んだ」。 

 しかし上図のように、アカバ湾東岸の一帯を「ミデアン」と考える説が多い中、その領域をアカバ湾西岸、つまりいわゆるシナイ半島の領域まで拡張する説も存在する。

 さらにそのアカバ湾に関しても、聖書はその場所を「葦の海」と特定しているのに対して、多くの通説では現在のスエズ湾まで拡張して考えている。

Ⅰ列王9:26

また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。

民数記21:4

彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、

  また先日の記事で取り上げたカデシ・バルネアに関しても、Ain el-Qudeirat (もしくはEin Qudeirat)であると、主なる神がアブラハムに対して約束し、それをモーセ自身が書き記した、約束の地の南端よりも内側に位置してしまい、聖書の記述と矛盾が生じてしまう。

申命記9:23

また主はカデシ・バルネアから、あなたがたをつかわそうとされた時、『上って行って、わたしが与える地を占領せよ』と言われた。ところが、あなたがたはあなたがたの神、主の命令にそむき、彼を信ぜず、また彼の声に聞き従わなかった。 

 つまりイスラエルの民はすでに約束の地の境界線を越えて中に入り込んでいたことになってしまうのである!

 それゆえ、ヨルダン渓谷の東側にあるペトラがカデシ・バルネアではないか、という説もある。

f:id:eastwindow18:20090101223743j:plain

 

 このように、シナイ山やミデアン、葦の海、カデシ・バルネアといった聖書的に重要な場所でさえも、その位置や領域に様々な見解があるのは悩ましいと同時に、興味深いことでもある。

 というのは、モーセを通して細かくそのルートを記録させた主なる神は、時の流れがそのしるしを曖昧にすることを許したからである。主が望んだなら、そのイスラエルの民の通過点に、ローマ時代のマイルストーンのようなものを残すように命令することもできただろう。

 しかしそれを命じなかったのは、イスラエルの民を奴隷状態から解放し、約束の地に導き入れると決め、それを実現した主なる神には、一旦約束の地に入ったイスラエルの民にとってその道は「帰ってはならない道」「見てはならない道」であり、ホレブ山があったミデアンの地も「異邦人の地」であったからではないだろうか。

申命記17:16

王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。  

  そしてそれらの道程がモーセによって詳細に書き記された目的は、その各場所自体を特定するためではなく、霊的な目的を持っていたことが、以下の聖句で理解することができる。

申命記8:1-3

1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。 

2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。 

3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。  

  それは、それぞれ不確かで矛盾にさえ思える諸説によって混乱しがちな現代の私たちの考えを、神の思いに沿ったものに修正する啓示ではないだろうか。

Ⅰコリント10:1-14

1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、 

2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。 

3 また、みな同じ霊の食物を食べ、 

4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。 

5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。 

6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。 

7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。 

8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。 

9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。

10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。 

11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。 

12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 

13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 

14 それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。