an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『Israele e Italia - Uniti Verso La Radice』が引き起こしたスキャンダルに関して

 去る2018年2月19日(月)にシチリア島の第二都市カターニアにおいて、「Israele e Italia - Uniti Verso La Radice」という一つのイベントが開催された。このイベントのタイトルは「根に向かって一つに」という意味であり、カターニアのいくつかの福音派地域教会の牧師らが、ユダヤのヘブロンの州政府要人(イタリア駐在ヘブロン大使・戦略局長と州義会代表)と共にペンテコステ教会を会場に集まった。

 イベントの主催者は、Son of Avraham Foundation である。

 このイベントが開催された直後から、イタリアの福音派グループにおいて激しい議論がインターネットを通して起きた。なぜなら、参加した福音派各教会を代表する牧師らが、ヘブロンの政府要人に対して一つの政治的・商業的誓約を交わしたからである。以下のビデオは、牧師らがその誓約書に署名しているものである(イタリア語であるが、映像を確認していただきたい。)


Catania: il patto massonico tra le Chiese Evangeliche ed Ebrei

 誓約書の内容は、パレルモで行われたもう一つのイベントに関するニュースが伝えている。Italians embrace South Hevron Hills - Israel National News

 要するに世界的に広まっているBDS運動(Boycott, Divestment and Sanctions movement)に反対する意を公的に誓約したということである。個人の良心に基づく選択というレベルの話ではない。主イエス・キリストの栄光を賛美するために召された地域教会を代表して、牧師らが何人も集まり、公に誓約書に署名したのである。

 しかしその一枚の紙以上に、多くの福音派信者を憤慨させ、悲しませたのは、そのイベント会場となった教会に設置されていた「Gesù Cristo è il Signore. (イエス・キリストは主である。)」という、信仰者の最も基本的で重要な信仰告白を書いた表示を、上述のイスラエル政府要人を「配慮して」撤去したことである。

GRAVE SCANDALO A CATANIA! La Chiesa Evangelica Pentecostale ha ubbidito agli Ebrei togliendo la scritta: «Gesù Cristo è il Signore»! | Chi ha orecchi da udire, oda

f:id:eastwindow18:20180404063332j:plain

 この撤去に関して、イベント会場の教会牧師(Ottavio Prato)が自発的に行ったことが、この記事で説明されている。公開されている彼自身の説明によると、当初はモットーをそのまま残すつもりだったが、祈りの中で、主イエスが使徒ペテロに啓示した大きな敷布の幻のエピソード(使徒行伝10:9-16 参照)を示し、「Togli la scritta! Io vivo nei cuori’.(書かれたモットーを取りなさい。私は心に生きている。)」と命じたから、ということである。

 使徒ペテロが見た幻は、ユダヤ人から「穢れている」と見做されていた異邦人にも主イエス・キリストの救いが備えられていることをペテロに示すためのものだったので、「イエス・キリストは主である」という信仰告白を取り除く選択とどう関係あるのか、個人的に全く理解できない。また聖霊が「私は心に生きている」と語ったというのなら、元々そのような表示は必要なかったことを意味し、何もこのようなスキャンダルを引き起こすようなデリケートな状況においてわざわざ撤去を命ずるのではなく、もっと前から「啓示」することもできたはずである。自分の言い訳のために、聖霊の導きを謳うのは不誠実ではないだろうか。そもそもそのような「愛に基づく配慮」をしたかったのなら、会場にホテルのイベントホールなどを借りるべきだっただろう。

 そして実際に参加した信徒の証言によると、二時間以上のイベントにおいて、御子イエス・キリストの名がただの一度も使われず、「神」という表現に慎重に言い換えられていた、とのことである。

 何年も前からこのような事態がイタリアにも起きることはわかっていたつもりだが、実際に起きるのを見ると、実に忌々しい思いになる。そして他のエキュメニカル運動で起きているのと同様、「釣り合わないくびきを共にする」ことによって、同じくびきを負うべきはずの兄弟姉妹同士が引き裂かれている。