an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

御子イエス・キリストという名の充溢(2)

ヨハネ1:14;18

14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。  

18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。 

 「肉体となった言」は、「父なる神のひとり子としての栄光」が信仰によって罪人の目にも見えるように示されたものであった。そしてその「父なる神のひとり子として栄光」は、神の栄光そのものであった。

 ヨハネ14:6c

わたしを見た者は、父を見たのである。

 その栄光は、神自身が全ての源泉であるように、恵みと真理に満ち溢れている。そして以下の聖句は、まさに全ての人間に圧倒的に欠けている要素、そして全ての人間が必要としている要素が、栄光に満ちた御子イエス・キリストその方であることを啓示している。

ローマ3:23

(前田訳)

すべての人は罪を犯したため、神の栄光を欠いています

 

(塚本訳)

なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない

 そう、私達が本質的に必要としているのは、もう少しの富や成功、健康、幸せというよりも、御子イエスご自身が聖霊によって心に宿り、私達の虚無を満たしてくださることである。

 そして一人の人間の心に栄光の御子イエス・キリストが宿るとき、彼の心は完全に満たされるのである。

コロサイ2:9-10a

9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、

10a そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。