an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

聖書の霊感:「手短に書いた」

へブル13:22

兄弟たちよ。どうかわたしの勧めの言葉を受けいれてほしい。わたしは、ただ手みじかに書いたのだから。

 「手短に書いた」

 この表現は、「本当はもっと多くのことをより詳しく書きたかったのだが、読み手の霊的状況がそれを許さなかったので、重要な事を簡潔に書くことを敢えて選んだ」という筆者の意思を示している。そのことは、以下の聖句からさらによく伝わってくる。

へブル5:11

このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。

 違う観点から見れば、「少なくとも読み手の霊的状況に合わせて、理解できる方法で、必要なことを十分に書いた」という自覚も暗示している。それは『ヨハネによる福音書』が書かれた目的に関する言及とも共通する。

ヨハネ20:30-31

30 イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。

31 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

 『へブルびとへの手紙』の筆者も福音書記者ヨハネも、自分が書いた書簡を読むだろう相手を励ます目的で、その目的に必要十分な内容を書くように聖霊に導かれたのであって、別の目的はなかったはずである。例えば、彼らは他の書簡を書いた使徒同様、自分たちが書いたものを、新約聖書全27巻を構成する一書として書いたわけではなかった。つまり彼らの福音書や書簡を書き始めるにあたって、聖霊に「私は今後、27巻からなる『新約聖書』を全人類の為に備えるから、心して私が語ることを書きなさい」とは命令を受けなかった、ということである。

 ということは、福音書記者や使徒たち各自に霊感を与え、書簡や福音書を書かせた聖霊は、それらの書簡を受け取り、教会の交わりの中で読み、他の教会も読めるように共有した兄弟姉妹の心にも働きかけ、導いていたということである。

 使徒時代の教会の兄弟姉妹の中には、使徒パウロの権威を認めず、彼を卑下する者たちがいたことが記されている。

Ⅱコリント10:1-2;10-12

1 さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。

2 わたしたちを肉に従って歩いているかのように思っている人々に対しては、わたしは勇敢に行動するつもりであるが、あなたがたの所では、どうか、そのような思いきったことをしないですむようでありたい。 

10 人は言う、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」。

11 そういう人は心得ているがよい。わたしたちは、離れていて書きおくる手紙の言葉どおりに、一緒にいる時でも同じようにふるまうのである。 

12 わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ合ったりしているが、知恵のないしわざである。 

 使徒ヨハネもその手紙の中で、健全な教えを説いていた使徒たちを受け入れない者が教会の中にいて、福音宣教の働きを妨害していたことが記録されている。

Ⅲヨハネ9-10

9 わたしは少しばかり教会に書きおくっておいたが、みんなのかしらになりたがっているデオテレペスが、わたしたちを受けいれてくれない。 

10 だから、わたしがそちらへ行った時、彼のしわざを指摘しようと思う。彼は口ぎたなくわたしたちをののしり、そればかりか、兄弟たちを受けいれようともせず、受けいれようとする人たちを妨げて、教会から追い出している。

 当然、使徒たちの権威を認めていなかった者たちは、使徒らが教会に書き送った書簡などの権威も認めていなかっただろう。しかしそのような妨害にもかかわらず、彼らの書簡は教会の中で読まれ、徐々に書き写され、各地の教会同士で交換され、「聖霊の霊感の受けた言葉」として人々の間で大切に保管されていたのである。それは書簡を受け取り、それを読んでいた側に、霊感を受けて書いた書き手と同じ聖霊が働き、その書簡の内容が真理であり、それを他の教会と共有すべきものであることを認識させていたからである。

 これらのことは、聖霊を通して働く神の主権において、聖書はその一書一書におけるそれぞれの目的に対して必要十分であり、また各書を満遍なく読むことによって、全人類に対する神の目的に対して欠けるものはない、有効な賜物であることを示している。

 そして私たちがその聖書を読むとき、聖霊が働き、聖書の中の一つ一つの教えを統合的に理解できるように導いて下さることも示している。

Ⅱテモテ3:14-17

14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、 

15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。

16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 

17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。