an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

異邦人が全部救われるに至る時まで

ローマ11:25-27

25 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、

26 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。

27 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。

 25節では、イスラエル人の救いの計画が、異邦人【ἔθνος ethnos】の救いの完了【πλήρωμα plērōma】(原語では「時間」よりも「状態」を啓示している)の次のステップとして成就することが啓示されている。

 当然、信仰による救いの福音の啓示に基づけば、「異邦人が全部救われるに至る時まで」という表現が、万人救済論を主張しているわけではなく、全世界に救いの福音が宣べ伝えられ、各自が個人の責任においてそれを信じる機会を与えられることになる状態を指している。その平等な機会は、愛の神の願いに基づくものである。

Ⅰテモテ2:4
神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。

 勿論、それは神自身が「これ以上はもういい」と判断される状態であり、全知の神だけがその「満期」をご存じで、人間にはそれがいつ満ちるか知ることができない「時」である。

 ちょうど御子イエスが「時の満ちる時に及んで」この地上に与えられたが、多くの明確なしるしにもかかわらず、人々はその「訪れの時」を知らずにいて、また知ろうともせず、御子が地上から去ったのと同じである。

ガラテヤ4:4
しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

ルカ13:34-35

34 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

35 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。

ルカ19:41-44

41 いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、

42 「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら……しかし、それは今おまえの目に隠されている。

43 いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、

44 おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」。

 使徒パウロは「異邦人の救いの時」に関して語っているが、ルカは似たような「異邦人の時期」について語りながらも、大患難期を含む、諸国の裁きの時までの終末論的時期を啓示している。

ルカ21:20-24

20 エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。

21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。

22 それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。

23 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、

24 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。

 ちなみに24節において「諸国」「異邦人」と和訳されている原語は同じ【ἔθνος ethnos】で、複数形である。また「時期」と和訳されている【καιροι kairoi】は複数形で、ルカ19:44の「神の訪れの時」と「時」は単数形なのは興味深い。

 黙示録はこの「エルサレムが異邦人に踏みにじられている時」のクライマックスである、大患難期後半の42か月間について特記している。

黙示録11:1-2

1 それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。

2 聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。

 このように新約聖書は恵みの福音に基づき、救いに関して「イスラエル人(ユダヤ人)とその他の異邦人の違いはないこと」と啓示しながらも(ローマ10:12参照)、その神の救済の働きの計画の成就においては区別化されていることがわかる。