an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「私の味方でない者」「私と共に集めない者」「聖霊に対して言い逆らう者」

マタイ12:30-32

30 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。

31 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。

32 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。 

 注目すべき点は、御子自身が「私の味方でない者」「私と共に集めない者」と定義していることである。つまり御子が「ご自分の味方か否か」「ご自身と共に集める者か否か」を決めるのであって、人間が自分のことを「御子の味方である」とか「御子と共に集める者」と自認している、というのとは根本的に違うことである。

 信仰者は自己欺瞞の誘惑に絶えず晒されている。以下の聖句は、「主よ、主よ」と口で唱えながらもその主に敵対しうること、また御子から離れて、自己満足の実を集めてうること、そんな危険を啓示している。

マタイ7:21-23

21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

黙示録3:14-22

14 ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。

15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。

18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。

19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。

20 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。

21 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。

22 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。 

  だからこそ、聖書のみ言葉を通して静かに良心に語りかけてくださる聖霊の声を蔑ろにしない者は幸いである。聖霊は私たちに罪を気付かせ、悔い改めるように促したり、私たちが自分たちの低さや卑しさに圧し潰されそうなとき、御子の尊き犠牲による義認を思い出させてくださるからである。