an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ジョン・オーウェンの試練、そして予定論の不条理

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 17世紀の神学者ジョン・オーウェン(1616-1683)の生涯に関するある記述を読んで興味をもち、彼の著作に関してリサーチしたのだが、WEB上では日本語に翻訳されたものは非常に少ないことがわかった。

 私がなぜオーウェンに興味を持ったかというと、その神学的見解というよりも、彼のプライベートな面においてである。オーウェンは28歳の時にメリーという女性と結婚したのだが、二人の間に生まれた11人の子供たちのうち、何と10人を幼年期のうちに失っており、成人したのはたった一人の娘だけだったというのである。(その唯一の娘も、結婚後しばらくして肺病で亡くなっている。)

 この世には数えきれないほどの苦痛があると思うが、親が子に先立たれる痛みは筆舌尽くし難いものではないかと思う。しかもその死別が、まるで繰り返し打ち寄せる荒波のように容赦なく襲ってくるとき、誰がオーウェン夫妻の心を想像することが出来ようか。

 しかし以下のようなカルヴァン主義的見解を読むとき、オーウェンはどのように自分の幼き子供たちの死を受け止めていたのか、ととまどってしまう。

http://home.cilas.net/~msbcsc/forwhomdie.htm

『キリストは誰のために死なれたか。』

 

父なる神が怒りを下し、御子が刑罰を受けられたのは、
1.すべての人のすべての罪のため、
2.ある人々のすべての罪のため、
3.すべての人のある罪のため、

のいづれかである。


そして、それぞれは次のように言うことができる。

イ、もし、3番目が正しいとなると、すべての人はある罪について責任をとらなければならず、したがって、誰ひとり救われない。

ロ、2番目が正しいとなると、キリストは世界中から選ばれたすべての人のすべての罪のために、彼らに代わって苦しみをお受けになったということになる。これこそ真理である。

ハ、しかし、1番目であった場合、なぜすべての人は罪の刑罰を免れないのか。あなたは「不信仰のためだ」と答えるだろう。では、その不信仰は罪なのか、そうではないのか。もし罪なら、キリストはその罪のためにも刑罰をお受けになったか、そうでないかのいずれかである。もし、お受けになったのであれば、なぜそれは、キリストがそのために死んでくださったというほかの罪以上に妨げになるのか。もし、お受けにならなかったのであれば、キリストはすべての人のすべての罪のために死なれたのではない。

 

ジョン・オーウェン 

 目の前で死にゆく魂のためにイエス・キリストがその尊きいのちを捧げてくださったどうか確信を持てない時、何を根拠に祈ればいいのだろうか。

 しかし以下に引用する聖句は、確かにキリストの死が全ての人のためであり、全ての人に例外なく影響するわざであることを証明している。

ヨハネ12:32-33

32 そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」。

33 イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになったのである。

ローマ5:18

このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである

ローマ11:32

すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。

Ⅱコリント5:14-15

14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである

15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。 

 キリストの死が全ての人のためであるという前提があるからこそ、「福音を信じないこと」が罪に定められるのであって、恩恵を受けられなかった人から恩恵の責任を求めるのは不条理である。つまり予定論的前提に立てば、救いの恩恵に選ばれていない人々に対して、「なぜ神の恩恵をないがしろにするのか」と非難することはできない、ということである。恩赦をうけたことなどない囚人に、「なぜ牢獄から出ないのだ」と非難するようなものだからである。

 ちなみにオーウェンが説くところの「キリストがそのために死んでくださったというほかの罪以上に妨げになる罪」とは、「神の恵みを啓示する聖霊に逆らう罪」であり、それは魂の救いの可能性に信頼しないがゆえに「死に至る罪」である。

マタイ12:31-32

31 だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。

32 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

Ⅰヨハネ5:16-17

16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。

17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。

 

 以下、ジョン・オーウェンの著作で和訳されているものである。

『信者のうちにおける罪の抑制について:その必要性と性質と手段』(1658年)