an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

飛び去る言葉

ルカ12:1-3

1 その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。

2 おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

3 だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。 

 日本の一人の女性議員が公用車という、ある種の「密室」で秘書に吐いた暴言がニュースになって拡散された。その暴言・暴行自体もさることながら、その波紋の拡がりの大きさと速さにインターネットの時代の現実を見る思いである。

 大都会の雑踏と無関心にまぎれ「密室」の中で目の前にいる人間に吐いた言葉が、一瞬にして全世界を駆け巡り、回収することも消去することもできない形でインターネットの記憶に焼き付けられるとは、暴言を吐いた本人も想像していなかっただろう。

 読者数がごく限られた個人的なブログや掲示板ですら、管理主が予測できない形で拡散し、たとえソースを削除してもWEB上から完全に消去することが非常に難しいのである。何気なく書いた無責任な発言さえも、今は幼い自分の子供や孫の世代において指一本で簡単に追跡できてしまう、そんな時代に私たちは生きている。

 ローマ時代の格言に「Verba volant, scripta manent」とあり、直訳すると「言葉は飛んで(消え去る)が、書いたものは残る」という意味であるが、現代は違う意味で「言葉は飛んで」、世界中を駆け巡り、時に増幅され、あらゆるところに繁殖し、二度と取り戻すことができないのである。

 しかし全知の神を畏れる信仰の教えは、インターネットがこの世に生まれる遥か前から、私たちを訓戒していた。

おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。 

 「知らないでいること」「見聞きしないこと」「忘れること」が元来できないそのような神がしかし、御子の贖いの死を心から信じ悔い改める者に対して、「あなた方の罪を思い出さない」と宣言しておられるのは、まさに十字架による神の奇蹟である。

イザヤ43:25

わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない。

エレミヤ31:34

人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

ミカ7:18-20

18 だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、

19 再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ、

20 昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。