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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「あなたがたは神々である」に関する検証

ヨハネ10:30-39

30 わたしと父とは一つである」。

31 そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。

32 するとイエスは彼らに答えられた、「わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざのために、わたしを石で打ち殺そうとするのか」。

33 ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」。

34 イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。

35 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)

36 父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。

37 もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。

38 しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」。

39 そこで、彼らはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手をのがれて、去って行かれた。

 ユダヤ人たちは御子イエスの「わたしと父とは一つである」という言葉が何を意味しているか、十分に理解した。実際、「あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」と解釈し、そのことが受け入れられず「神に対する冒涜である」と断罪し、石打ちの刑で御子を殺そうとしたほどであった。

 そのユダヤ人たちの訴えに対して、御子は詩篇82篇の一節を引用し、自分の立場を弁明している。

34 イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。

35 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)

36 父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。

  神の言を託された人々(新改訳:「神のことばを受けた人々」)、つまり神の律法を託され、民を公平と正義によって裁く務めを任されていた人々が、聖書の中で「神々」と呼ばれているのなら、なおさら父なる神に聖別され、御心を行うために世に遣わされた自分の事を「神の子」と言って、なぜ神を冒涜していることになるのだ、と弁明しているのである。

 ここで御子イエスは詩篇の聖句「わたしは言う、あなたがたは神々である」を引用し、ご自身の神性を立証しているのであって、「あなたは人間であるのに、自分を神としている」と糾弾していた人々に対して「あなたがたも神のことばを託されているのだから、神々なのですよ」と人間の神性を立証しようとしていたのではないのである。

 私がこのように書くのには理由がある。なぜなら、このヨハネ10:35の聖句を根拠に、「キリストにある者は全く新しいタイプの存在、つまり神々である」と主張する者がいるからである。

 御子が引用した詩篇そのものを検証することでも、そのような主張がナンセンスであることがわかる。

詩篇82

アサフの歌

1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。

2 「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、悪しき者に好意を示すのか。〔セラ

3 弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。

4 弱い者と貧しい者を救い、彼らを悪しき者の手から助け出せ」。

5 彼らは知ることなく、悟ることもなくて、暗き中をさまよう。地のもろもろの基はゆり動いた。

6 わたしは言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。

7 しかし、あなたがたは人のように死に、もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」。

8 神よ、起きて、地をさばいてください。すべての国民はあなたのものだからです。  

  まず第一に、1節の「神」と「神々」は同じ原語【אֱלֹהִים 'ĕlôhı̂ym エロヒム】(複数形)であるが、「神」の場合、動詞「立たれる」「さばきを行う」が単数形であるので、神学的に三位一体の神を啓示しているのに対して、「神々」の場合は2節や6節においても動詞や代名詞がそのまま複数形であるので、三位一体の神と同列に解釈することは決してできないのである。

 さらに文脈を読めば、ここで「神々」と呼ばれ、御子が「神の言を託された人々」と説明しているイスラエルの民の裁き人たちに対して、神はその不正を糾弾し、託された御言葉の義に従って行動するよう、命じているのである。

「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、悪しき者に好意を示すのか。〔セラ

弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。

弱い者と貧しい者を救い、彼らを悪しき者の手から助け出せ」。

 そしてその不正の犯す「神々」の結末を宣告している。

彼らは知ることなく、悟ることもなくて、暗き中をさまよう。

わたしは言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。

しかし、あなたがたは人のように死に、もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」。

 このように主なる神から聖なる啓示の言葉を託され、神の民をその御言葉に従って治めるように権威と責任を与えられていた人々が、不正を行い、公義を曲げ、その当然の帰結として暗闇を彷徨い、やがて死の滅びが待ち受けていることを宣告されていた。ここで暗示されている神のアイロニーのニュアンスを見逃すことはできない。

 だからこそ詩篇記者アサフは、「神々」ではなく、唯一のまことの神に公正な裁きを祈り求めているのである。

神よ、起きて、地をさばいてください。すべての国民はあなたのものだからです。  

 このように詩篇をそのまま読んでも、決して「新しく生まれた信仰者はエロヒムである」という解釈を引き出せるような文脈は存在しないのである。

 確かに神の無限の愛によって、御子を信じた私たちは「すでに神の子」とされ、「今や神の子」である。しかし地上に生きる間は「わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない」(新改訳:「後の状態はまだ明らかにされていません」)。この地上における信仰の戦いを全うし、神の御姿を見るときはじめて、私たちは彼に似た者となるのである。

Ⅰヨハネ3:1-3

1 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。

2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

3 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。 

 神の御言葉に逆らっても「神のようになれる」「あなたがたはエロヒムだ」と説く「エデンの蛇の言葉」に誰も騙されてはならない。

Ⅰヨハネ3:7-10(新改訳)

7 子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行なう者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。

8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。

9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。

10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。