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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

安息日に関する考察(14)だれにも批評されてはならない

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コロサイ2:16-17

16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。 

  以前『幼稚な遊び』という記事でも書いたが、上に引用した聖句の文脈を無視し、「モーセの律法に基づいて、食物と飲み物や、祭や新月や安息日など尊守しているあなたがたは、それを守っていない異邦人に批評されてはならない」と解釈し、恵みによって救われていると告白しながらも、ユダヤ教の祭や安息日を守るように教えている人々がいる。

 しかしこの聖句の文脈を読めば、それは小アジア(現在のトルコ)のコロサイ教会へ手紙を書いた使徒パウロの意図と正反対の主張であることが理解できる。

コロサイ1:27

神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。

KJV

To whom God would make known what [is] the riches of the glory of this mystery among the Gentiles; which is Christ in you, the hope of glory:

 まず使徒は「異邦人の受くべきこの奥義」と書いた直後、「この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり」と書いている。つまりコロサイの信徒たちがユダヤ人ではなく、異邦人であったことを示している。

 また以下の聖句はさらに明確にコロサイの信徒たちが異邦人であったことを示している。

コロサイ2:11-15

11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。

12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。

13 あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。

14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。

15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。 

  使徒パウロはここで明確に、「あなたがた」つまりコロサイ教会の信徒たちが、「先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者である」と記述している。つまり「肉に割礼を受けていたユダヤ人」ではなく、「肉に割礼を受けていない異邦人」であるということである。その異邦人であった人々が、信仰によって「手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨て」、救われたのであった。

 モーセの律法は「契約のしるし」として肉の割礼を命じていたが、なぜコロサイのこれらの異邦人たちは「手によらない割礼」だけで神の民となることができたのだろうか。それは、神自身が「わたしたちを責めて不利におとしいれる証書」つまりモーセの律法を、「その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた」かれであった。

 もし使徒パウロが、異邦人であったコロサイ教会の信徒たちに、ユダヤ教からの改宗者の教師たちが教えていたように、「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」とか「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」(使徒15:1;5 参照)と教え、安息日などを守るように教えていたとしたら、「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた」という言葉や、以下の言葉などは矛盾した主張でしかなかったはずである。

コロサイ2:20-23

20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、

21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。

22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。

23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。 

 そしてもしコロサイ教会の信徒が神を知らない異邦人から、モーセの律法に書かれている「食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて」批評を受けていたことに関して、信徒らを弁護しようとしていたのなら、モーセの律法の権威を主張すればよかったはずである。「神の律法にはこうこう書いてあるのだから、その律法を知らない異邦人から批評を受けたとしても、あなたがたは気に留める必要はない」と。しかし実際には、この手紙において使徒パウロは、律法の中からどころか旧約聖書全体からさえも、一文も引用をしていないのである。(こちらのリストで確認可能)

 だから使徒パウロがここで主張しているのは、「神ご自身が御子の死によって律法の規定を塗り消し、取り除き、十字架につけてしまったならば、律法を尊守しなければ救われないと主張する人々から、食物や祭や安息日などの律法の規定に関して、守っていないとか、霊的な本質を理解していない、などと批評されてもそれを真に受けてはならない」と主張しているのである。

 ちなみに「安息日を尊守すること」に「普通の新生経験や信仰生活では知りえない奥義がある」かのように主張する意見があるが、信仰者に与えられている、また与えられ得る全ての知識と経験は、キリストのうちにあり、キリストご自身が神の奥義であることが、この『コロサイびとへの手紙』と一緒に使徒パウロがローマから送ったとされる『エペソびとへの手紙』の中にも見つけられる「奥義」という言葉が指す意味からも理解できる。(この言葉は新約聖書で合計22回使われているが、上述に二つの書簡においては、合わせて11回も使われている。)

コロサイ1:25-28

25 わたしは、神の言を告げひろめる務を、あなたがたのために神から与えられているが、そのために教会に奉仕する者になっているのである。

26 その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。

27 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。

28 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。

コロサイ2:2-4

2 それは彼らが、心を励まされ、愛によって結び合わされ、豊かな理解力を十分に与えられ、神の奥義なるキリストを知るに至るためである。

3 キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている

4 わたしがこう言うのは、あなたがたが、だれにも巧みな言葉で迷わされることのないためである。

コロサイ4:3-4

3 同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、わたしたちがキリストの奥義を語れるように(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)、

4 また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。

エペソ1:7-10

7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。

8 神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、

御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。

10 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

エペソ3:3-6

3 すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。

4 あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。

5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。

6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである

エペソ3:8-11

8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、

9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。

10 それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、

11 わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。

エペソ5:31-32

31 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。

32 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。 

  このように、キリストこそが私たちが知るべき奥義であり、信仰者はすでにその「キリストのうち、In Christ」にいきているのである。

 

(15)へ続く