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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

安息日に関する考察(12)主イエスと使徒パウロ

マタイ12:9-10

9 イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。

10 すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。

マルコ1:21

それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。

マルコ6:1-2

1 イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。

2 そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。

ルカ4:16

それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。

 ルカ4:31

それから、イエスはガリラヤの町カペナウムに下って行かれた。そして安息日になると、人々をお教えになったが、

ルカ13:10-11

10 安息日に、ある会堂で教えておられると、

11 そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。 

 これらの聖句は、主イエスが地上の生涯において安息日に会堂の礼拝に参加していたことを示している。人間的な観点で言えば、御子は一人のユダヤ人であったのから、神とイスラエルの民との契約のしるしとして尊守するように律法が命じていた安息日に、他のユダヤ人たちと共に礼拝に参加していたのは当然であろう。

 また救済論的観点から言えば、律法の下に閉じ込められていた契約の民を贖い出すために、そしてその律法を十字架の死によって完全に成就するために人となられてこの世界に来られたのだから何の矛盾もない。

マタイ5:17-18

17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

ガラテヤ4:4-5

4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。

 しかしそのような神の永遠の贖いの計画も、そのために遣わされていた御子のアイデンティティーに関しても受け入れていなかった律法学者やパリサイ人らは、御子が安息日に人々を病気や罪の束縛から解放していたのを見て、「安息日を守っていない」と断罪し、さらに殺意をもつまで憎んだ。

ヨハネ9:16

そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。

ヨハネ5:16-18

16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。

17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。

18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。 

 18節は注意して読むと、驚くべき表現を使っている。「イエスが安息日を破られたばかりでなく」。当然、ユダヤ人たちの観点からの見解であることは間違いないが、筆者であり、主イエスの弟子であったヨハネは、「ユダヤ人たちは、イエスが安息日を破った思い、・・・殺そうと計るようになった」と書けたはずである。

 同じような意外な表現は、御子自身も使っている。

マタイ12:5

また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。 

 ここでは御子自身が、安息日に宮仕えをしていた祭司たちは「安息日を破っている」が、罪には問われない、と言っているのである。ここで「破る」と和訳されている動詞【βεβηλόω bebēloō】は、「・・・を冒涜する、神聖を穢す」という意味を持つ。テルトロがローマ総督ぺリクスの前で、使徒パウロを訴えた時に使った、非常に強い言葉である。

使徒24:6

この者が宮までも汚そうとしていたので、わたしたちは彼を捕縛したのです。〔そして、律法にしたがって、さばこうとしていたところ、 

  マタイもヨハネも、もし初代教会の十二使徒たちが安息日の尊守を教会に教えていたら、絶対に書き残さなった表現だろう。つまりこれは初代教会が、律法における安息日の戒律に対して距離を置いた位置にいたことを暗示している。

 実際、エルサレムで開かれた初代教会の会議における決定事項の中には、「各地で安息日毎に会堂に集まって、モーセの律法を朗読しているユダヤ人たちに躓きを与えないために、各教会が守るべき4つの条件」の中に、「安息日の尊守」という条件はない。

使徒15:19-21

19 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。

20 ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。

21 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。 

 「ユダヤ人は律法に従って安息日に会堂に集まって、モーセの律法を朗読し、礼拝を捧げているのだから、各教会もユダヤ人に倣って安息日を尊守すべきである」とは命じなかった。

 使徒パウロたちが宣教旅行の際に安息日に会堂に行っていたことを理由に、「使徒パウロは安息日を守っていた」と主張する意見がある。

使徒13:13-14

13 パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。

14 しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。

使徒17:1-3

1 一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。

2 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、

3 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。

使徒18:4

パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。

 しかし使徒パウロたちは、キリストの福音をまずユダヤ人に伝えるという宣教の原則に従って、宣教していたのである。

ヨハネ4:22

あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである

ルカ24:47

そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。

使徒1:8

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

使徒13:46

パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。 

 興味深い事例がある。使徒パウロたちがローマの植民都市ピリピに訪れた時、安息日だったがその町には会堂がなかったので、おそらく祈りのために集まっているだろう人々を探して、町の近くを流れている川辺に行ったことである。

使徒16:12ー13

12 そこからピリピへ行った。これはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。

13 ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。 

  ユダヤ人が会堂のない町に住むことは禁じられていたのだから、もし使徒パウロが安息日を尊守していたとしたら、安息日に会堂のないピリピに残り、しかも川辺まで探しに行ったこと自体、妙な話である。この事例は、使徒パウロたちが失われた魂を探し、御言葉を伝えることを何よりも優先にしていたことを示している。

 また当時の会堂は、旅人に寝泊まりする場所(それは会堂の隅やベンチであったりした)を提供していたのだから、ユダヤ人として使徒パウロが宣教に利用していたのは当然だろう。

 エペソのおいて三か月の間、パウロの伝道によって聖霊の満たしを受けた12人の信徒らと共に、会堂のユダヤ人たちに福音を伝えていたが、彼らが頑なに受け入れず信じようとしなかったので、パウロは弟子たちを連れて会堂から離れ、ツラノの講堂という一種の学校の施設を借りて、特定の日だけでなく「毎日」福音宣教に専念した。

使徒19:1-10

1 アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、

2 彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。

3 「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。

4 そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。

5 人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。

6 そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。

7 その人たちはみんなで十二人ほどであった。

8 それから、パウロは会堂にはいって、三か月のあいだ、大胆に神の国について論じ、また勧めをした。

9 ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた

10 それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言を聞いた。 

 つまり使徒パウロが安息日に会堂に行っていたのは、福音宣教が目的であったからで、「律法の下にいるユダヤ人の同胞」を何とか救いたいという願いからくるものだったのである。

Ⅰコリント9:19-23

19 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。

20 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである

21 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。

22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。

23 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。 

 

追記1(2017/05/10)

使徒20:7

週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。 

 安息日の尊守を主張する人の中には、この聖句の「週の初めの日」の「初め」と和訳されている原語【μία mia】の正しい訳は、「初め first」ではなく「ひとつ one」であると主張し、【μια των σαββατων】は「one of the Sabbaths」と訳すのが正しいとする。

 しかしここでの【σαββατων】が複数形なのは、へブル・アラム語的用法で「安息日と安息日の間、つまり週、もしくは集合名詞的用法の安息日」というニュアンスをもつ。さらにこの文脈において【μία mia】の前に定冠詞【τη】がついているので、やはり「週の初めの日」という訳が妥当である。

 また前後の文を読んでみると、「one of the Sabbaths」という訳が適切でないことがわかる。

使徒20:4-7;11

4 プロの子であるエペソ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、またアジヤ人テキコとトロピモがパウロの同行者であった。

5 この人たちは先発して、トロアスでわたしたちを待っていた。

6 わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して、彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した

7 週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。
11 そして、また上がって行って、パンをさいて食べてから、明けがたまで長いあいだ人々と語り合って、ついに出発した。 

 もし使徒パウロがトロアスに何週間とか何か月も滞在していたとしたら、「多くの安息日の中のある安息日」というニュアンスも使うことができたかもしれないが、使徒は7日間しか滞在しなかったのである。

 だからこの節をもって、「使徒パウロは安息日を尊守していたから、私たちも同じように尊守しなければならない」という主張には文法的観点でも文脈的にも根拠はない。

 さらにほとんど全ての英訳や和訳聖書が、「And on the first day of the week」「週の初めの日」と訳しているのに対して(こちらのサイトで確認できる)、「翻訳が間違っている」と断定してしまうのは、非常に危険な姿勢だと言える。

 ちなみに私が調べた範囲では、「one of the Sabbaths」と訳している英訳バージョンは、Adolph Ernest KnochによるCLV(Concordante Literal Version)しか見つけられなかった。Good News Translationは、「On Saturday evening」と訳している。イタリア語や日本語の翻訳聖書においては、全く存在しない。

 このCLVバージョンのAdolph Ernest Knochは、地獄を否定したり、御子が父なる神と同等の神性をもつことを否定したりして、そのまま受け入れるには多くの教義的問題を抱えていると思われる。

 

追記2(2017年5月23日)

 使徒パウロがもし諸教会に安息日を尊守するように教えていたとしたら、ガラテヤ教会に対して書いた手紙において、以下のような表現は決して使わなかっただろう。

ガラテヤ4:8-11

8 神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた。

9 しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。

10 あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。

11 わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならない。 

 もしガラテヤの信徒たちが「日(安息日)や月(新月)や季節(各種の祭)や年(安息年)などを守っている」ことを、使徒が肯定的にとらえていたら、ガラテヤ教会に対する自分の働きを「無駄になったのではないか」と心配したり、ガラテヤの信徒たちを「奴隷になろうとしている」とは決して言わなかったはずである。これは使徒パウロが安息日や新月、各種の祭、安息年などを尊守する必要がないと教えていたことを明示している。

 

(13)へ続く