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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

安息日に関する考察(8)イザヤ58章

イザヤ58:13-14

13 もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、

14 その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う」。これは主の口から語られたものである。 

  この聖句も安息日尊守を推奨する立場の人々が引用する箇所である。安息日を尊ぶことによって、主の祝福が約束されているからである。

 当然、どの聖句においても言えるように、まず文脈を考慮し、「いつ」「誰が」「誰に」対して語っているかを知る必要がある。この場合、1節において「わが民」「ヤコブの家」、そして14節において「あなたの先祖ヤコブ」とあるので、主なる神はイスラエルの民に語っていたことがわかる。

1 「大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。

 しかしさらに重要な点は、そのイスラエルの民は律法の中で命じられていた「贖罪の日」の際の断食(「身を悩ます」)を行っていたのだが、「食を断つ」ことに囚われて、主が命じていた断食の本質を見失っていたことである。

レビ記23:26-32

26 主はまたモーセに言われた、

27 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。

28 その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。

29 すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう。

30 またすべてその日にどのような仕事をしても、その人をわたしは民のうちから滅ぼし去るであろう。

31 あなたがたはどのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて、代々ながく守るべき定めである。

32 これはあなたがたの全き休みの安息日である。あなたがたは身を悩まさなければならない。またその月の九日の夕には、その夕から次の夕まで安息を守らなければならない」。

イザヤ58:3-5

3 彼らは言う、『われわれが断食したのに、なぜ、ごらんにならないのか。われわれがおのれを苦しめたのに、なぜ、ごぞんじないのか』と。見よ、あなたがたの断食の日には、おのが楽しみを求め、その働き人をことごとくしえたげる。

4 見よ、あなたがたの断食するのは、ただ争いと、いさかいのため、また悪のこぶしをもって人を打つためだ。きょう、あなたがたのなす断食は、その声を上に聞えさせるものではない。

5 このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。人がおのれを苦しめる日であろうか。そのこうべを葦のように伏せ、荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。あなたは、これを断食ととなえ、主に受けいれられる日と、となえるであろうか。

 つまりイスラエルの民は、「贖罪の日」に関する戒めを表面的に守り、自分たちが「食を断ち、身を苦しめていること」が神の目にメリットとなると勘違いし、自分たちが想像していた「神の祝福」が得られないから神に不満を言い、その苛立ちを自分たちよりも「正しくない」、つまり「律法を尊守していない」と勝手に判断した隣人らに対して当たり散らしていたのである。

 このような状況は、自分たちが断食していることをひけらかし、何度も「イエスは安息日を破っている」と難癖つけていたパリサイびとや律法学者の態度と共通するものである。

マタイ6:16

また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

ルカ18:10-12

10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。

12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。

ルカ6:6-7

6 また、ほかの安息日に会堂にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。

7 律法学者やパリサイ人たちは、イエスを訴える口実を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた。

ヨハネ5:8-10;16-18

8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。

9 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。

10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。

16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。

17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。

18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。

ヨハネ9:16

そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。

 しかしそのようなパリサイびとらに主イエスが「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。」(マタイ12:7)と答えたように、主なる神が望んでいた真の断食の意味が「安息日に食を断つ」という字面を遥かに超えた領域において啓示されているのである。

イザヤ58:6-12

6 わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。

7 また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。

8 そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。

9 また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、

10 飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。

11 主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。

12 あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。

  冒頭に引用した安息日に関する約束は、このような霊的な文脈の中で解釈すべきであり、字面的尊守による祝福を超えたものである。そしてそれは律法の下では実現できず、御子においてのみ完全に成就したものである。