an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

雲ではなく、太陽を見つめて

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へブル11:39-40;12:1-3(新改訳)

39 この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。

40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。

1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。 

  「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている」 

 この書簡の筆記者は、一つの巨大な雲のイメージを使い、イエス・キリストを信じた信仰者が、11章の中で列挙されている旧約聖書の神の証人たちの証しに取り囲まれていることを根拠に、「私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けよう」と励ましている。

 実際、「このように多くの証人たち」として、アベル、エノク、ノア、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ラハブ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、そして預言者たちと、よく知られた名前が並んでいる。これらの信仰の証人たちが、神のよって約束されたさらに優れたものを私たちと共に受け取るために、「雲のように私たちを取り巻いている」と書かれているのである。

 何という励ましだろうか。しかも「私たちを取り巻いている」のであって、「私たちを上から見下ろしている」とは表現されいていない。これは私たちは未だに地上のこの世で生きているものの、信仰によって「天の御座の前に座り、天の祝福を受け取っている」ことを暗示している。

エペソ1:3-6

3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、

4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、

5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。

6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。

エペソ2:4-7

4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――

6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。

7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。 

 私たちも11章の信仰の証人たちと同様、「愛する御子によって賜わった栄光ある恵み」や「キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富」を褒め称え、きたるべき世々に示すために、御子と共に天上の御座の前に導かれた証人なのである。

 しかしこの地上の生を終え、贖いが完成するまでは、私たちの目の前には向き合うべき競走が置かれている。昨日の記事において、私たちの競走が「人々の注目と歓声の中、華やかに走り抜ける短距離走というよりは、多くのアップダウンと障害物を乗り越えなければならないクロスカントリーのようなイメージに近いであろう」と書いたが、やはりいくら旧約聖書の信仰の証人たちに雲のように取り巻かれているとしても、彼らが競技場の観客席や沿道で歓声を上げて応援しているとイメージするのは間違っているだろう。そのようなイメージは、過去の「聖人」が地上の信仰者に干渉するというような「聖人崇拝」の教えに不用意に近づく可能性がある。

 そう、冒頭の聖句が勧めているいるように、ゴールを目指し、競走を走っている私たちが見つめるべき方は、御子イエス・キリストのみである。私たちを取り巻く「雲」ではなく、私たちの心を照らし、癒しと力を与えて下さる「義なる太陽」を見つめ続けよう。

マラキ4:2

しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。

へブル12:2-3

2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。