an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

七つの封印の巻物に関する「予告編」「本編」の解釈について

終末の時代に起こること――患難時代

封印の幻は一種の予告編

私たちは、第七の封印の内容として七つのラッパがあり、第七のラッパの内容として七つの鉢があることを見ました。

ここで、「封印」「ラッパ」また「鉢」の関係はどうなっているのかについて、もう一度詳しく見てみましょう。

封印の幻は、預言の「巻き物」の外側の文字によるものであり、ラッパの幻は、内側の文字によるものです。つまり、封印の幻は"予告編"のようなものであり、ラッパの幻が"本編"なのだと言うことができるでしょう。

封印の幻は、ちょうど映画の"予告編"のようなものなのです。映画館では、よく近日上映の映画の予告編が見せられます。

予告編は、映画の幾つかの場面を人々に見せることにより、実際の映画がどのような雰囲気を持ったものかを示します。それと同様に、封印の幻という"予告編"は、終末の時代に関するラッパの幻の"本編"に入る前に、その幾つかの場面を見せるものとなっているのです。

第四の封印の幻は、多くの"死"です。

「第四の封印を解いたとき・・・・私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデス(よみ=死者の世界)がつき従った。彼らに、地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣(独裁者)によって殺す権威が与えられた」(黙示六・七~八)。

患難時代には多くの人々が、戦争や、ききんや、死病や、世界的独裁者(象徴的に獣と呼ばれる)の圧政によって死ぬのです。

つぎは第六の封印の幻ですが、私たちはこれにとくに注目すべきでしょう。この幻は患難時代のあと、千年王国も終わって、天地が過ぎ去り、最後の審判の法廷が開かれる時のものだからです。
「第六の封印を解いた時・・・・天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された」(黙示六・一二~一七)。
これは明らかに、天地が過ぎ去る時・・万物更新の時のことを言っています。「患難時代」の後に「千年王国」があり、そののち天地は過ぎ去り、最後の審判の法廷が神の御座において開かれるのです。
第六の封印の幻は、その時のことまで垣間みさせているわけです。これは「封印の幻」が、"本編"預言に入る前の、いわば"予告編"だからなのです。

(一部抜粋引用)

  七つの封印の巻物の表と内側の啓示を、映画の「予告編」と「本編」というイメージを使って説明するのは、現代に生きる私たちにとって非常に理解しやすいものだが、実際に聖書に啓示されている詳細を確認すると、「予告編」「本編」というイメージが適切ではなく、七つの封印が解かれる時の啓示は、封印が解かれた後に起きる「本編」の内容の一部を予告紹介しているわけではないことが理解できる。

 特に私は「第四の封印の啓示」と「第六の封印の啓示」について上記の記事から抜粋した。

 第四の封印が解かれた時、青白い馬に乗った「死」とそれに従う黄泉に、地上に四分の一を殺す権威が与えられた、とある。

黙示録6:7-8(新改訳)

7 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい。」と言うのを聞いた。

8 私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。

 しかし七つ目の封印が解かれた後、少なくとも人類の三分の一、実際にはそれを遥かに超えるだろう人々が、大きな災害や、四人の御使いを通して殺されると啓示されているのである。

黙示録8:10-11

10 第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。

11 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。

黙示録9:13-18

13 第六の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、一つの声が、神のみまえにある金の祭壇の四つの角から出て、

14 ラッパを持っている第六の御使にこう呼びかけるのを、わたしは聞いた。「大ユウフラテ川のほとりにつながれている四人の御使を、解いてやれ」。

15 すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。

16 騎兵隊の数は二億であった。わたしはその数を聞いた。

17 そして、まぼろしの中で、それらの馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当をつけていた。そして、それらの馬の頭はししの頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが、出ていた。

18 この三つの災害、すなわち、彼らの口から出て来る火と煙と硫黄とによって、人間の三分の一は殺されてしまった。 

 特に「その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使」を通して、二億の騎兵隊によってその人類の三分の一の大殺戮が起こるわけだから、「予告編」の中で「本編」において人類の四分の一の人々が死ぬ、と宣言するのも一貫性に欠けるだろう。大患難期の予め決められた年月日、さらに時間まで予定され、人類の三分の一が殺されてしまうならば、大患難期全体で人類の四分の一が死に渡されると「予告」するのもおかしな話である。

 また第六の封印の啓示に関して、「この幻は患難時代のあと、千年王国も終わって、天地が過ぎ去り、最後の審判の法廷が開かれる時のものだからです。」と書かれているが、実際に第六の封印が解かれた時の啓示の全体を確認してみると、その解釈は間違っていることがわかる。なぜなら地上の人々は「御怒りの大いなる日」、つまり「キリストの地上来臨と諸国の裁きの日」の到来を悟って怖れおののき、何とか身を隠そうとするのだが、最後の審判が行われる時には、人々が隠れる洞穴も山の岩間も存在せず、「私たちをかくまってくれ」と叫び求めるような山も岩も、すでに消え去って無くなり、人々は何もない状態で主の裁きの前に立つことになるからである。

黙示録6:12-17

12 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。

13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。

14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。

15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、

16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。

17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」

黙示録20:11-15

11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。 

 七つの封印の開封の啓示は、大患難の「予告編」というより、「主イエス・キリストが来られる時や世の終わりの前兆(しるし σημεῖον / sēmeion)」であり、「産みの苦しみの初め」であって、すでに幕は開けられ、多くの苦痛と無数の命の損失を伴う大患難期の始まりは、不可逆的に始まっているのである。

マタイ24:3-14

3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

4 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

5 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。