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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

覆われたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

マタイ10:16-33

16 わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。

17 人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。

18 またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。

19 彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。

20 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。

21 兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。

22 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

23 一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。

24 弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。

25 弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。

26 だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。

28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。

30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。

31 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

32 だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。

33 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

ルカ12:1-12

1 その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。

2 おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

3 だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。

4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。

5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。

6 五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。

7 その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

8 そこで、あなたがたに言う。だれでも人の前でわたしを受けいれる者を、人の子も神の使たちの前で受けいれるであろう。

9 しかし、人の前でわたしを拒む者は、神の使たちの前で拒まれるであろう。

10 また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。

11 あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。

12 言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。 

 「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。」

 このよく引用される聖句は、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』の中にあるが、それぞれが置かれている文脈をよく読んでみると、実は聖句が示す内容が異なることがわかる。

 マタイにおいては「福音宣教における迫害」という文脈の中に置かれ、ルカにおいては「パリサイびとの偽善に対する警告」という文脈の中で語られている。

 マタイのメッセージは、「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。」とあり、「御子イエスが弟子たちに内密かつ個人的に語ることを、その啓示が引き起こす憎悪や迫害を恐れることなく、公に、そして大胆に語れ」と命じている。

 ルカのメッセージは、「おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。」とあり、語るのは御子イエスではなく、「私たち人間が人の目に隠れた所で内密に語りあうこと、特に裏表のある考えや偽善的策略は、必ず公になり、人々に間で語り伝えられるのだから、注意しなさい」と警告しているのである。

 この二つのメッセージは、互いに補完関係にあり、ただひたすら御子の計り知れない恵みによって罪の支配から贖われ、キリストの証人としてこの世に遣わされている「憐みの土の器」として、両方の教えを心に刻み付けておく必要がある。

 つまり片や、人々の誤解や無理解、反対、憎悪、迫害を恐れ、自分の弱さに縛られ、祈りや賜物を通して御子が聖霊によって語ったり、行うように命じていることに躊躇する危険と、もう一方では、与えられた神の祝福のゆえに高慢になり、言っていることと行っていることが違う偽善や、表で言っていることと裏で考えたり、口にしていることが違う偽善に陥る危険の、二つの要素である。

 なぜ私たちはこの二つの危険性に注意しなければならないのだろうか。それは真に畏れるべき方、唯一の神であり、生ける者と死せる者を正義と公平をもって裁く方が存在するからである。

また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。

 公に語れと命じられたことを恐れて語らない私たちの臆病さを見ている神は、同時に、語る前に為すべきことを為さない私たちの偽善も見ている方である。

 主よ、私たちを御子の尊き血潮によって清め、貴方の限りない愛と恵みと憐みを大胆に語る者としてください。