an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ゴルゴタの暗闇、十字架の光

 共和政ローマ末期の政治家、文筆家、哲学者であるキケロ(Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年 - 紀元前43年)は、十字架の磔刑について、「最も残酷で嫌悪感を起こさせる処刑(crudelissimum taeterrimumque supplicium; Cic. Verr. 2.5.165)」とし、「それを施行するだけでなく、口にすることさえも、ローマ市民や自由人には相応しくない」(Rab. Perd. 16)と言って、強い嫌悪感を隠すことはなかった。

 実際にローマ市民に対して十字架による処刑が執行されるケースはごくわずかで、大概は市民権を持っていなかった奴隷や外国人の犯罪者が対象であった。通常、手を縛りあげ、袋のようなもので頭部を覆い、それから釘で磔にしていた、という記録が残っている(福音書には、頭の覆いに関する記述はないが)

 想像するだけで悍ましい光景だが、実際にその場にいたら、しかも自分が慕う人がそのような姿で十字架に架けられていたら、直視することなどできなかったろう。

マタイ27:45

さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。

 この正午の全地を覆った暗闇は、御子の死について私たちが軽々しく言い表すことを静かに戒めている。

 ただ信仰によって御前に跪き、要求など何もなく、静かに目を閉じて祈る時、最も酷く忌々しいはずの十字架が、いのちの光を放つのを見る。