an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「ゆるい福音」と「十字架の言」

ガラテヤ3:1

ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。 

ガラテヤ6:14

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

 御子の死を通してこの世は十字架に架けられたことを霊的現実として知っているのに、なぜ私は救いの福音をまるで「この世にある無数の選択肢の一つ」、「ゆるい福音」として提示する圧力に屈しなければならないのだろうか。相対主義者が福音をそのように見做したとしても、否、それ以下と蔑視しても何ら不思議ではないが、信仰者はそうでないと信じている、はずである。

 福音宣教のために召命を受けたはずの者が、自分は何者で、何をし、どこへ行き、どう感じたか、と自分自身のことばかりを語っていたら、主イエス・キリストがどのような方でその十字架のわざは何を意味し、何を私たちに約束しておられるかを全身全霊で探し求めている心の姿勢を第三者は感じ取れるだろうか。

 福音は、「地の果てまで続く砂漠に備えられた唯一の泉」「焼野原に残った一本の果樹」「死刑場に向かう囚人のための恩赦の手紙」なのだ。「ゆるい福音」「そこそこに良い知らせ」などただの気休めで、真実を求める魂はその安っぽさにうんざりしている。

 必要なのは「神にとって御子イエスの死が何を意味するか」をより深く知ることであり、その過程があってはじめて「御子を死から甦らせた神のいのち」がより現実的に顕れる。私たちの霊魂は、そのいのちの顕現を慕い求めている。

詩篇63 

ユダの野にあったときによんだダビデの歌

1 神よ、あなたはわたしの神、わたしは切にあなたをたずね求め、わが魂はあなたをかわき望む。水なき、かわき衰えた地にあるように、わが肉体はあなたを慕いこがれる。

2 それでわたしはあなたの力と栄えとを見ようと、聖所にあって目をあなたに注いだ。

3 あなたのいつくしみは、いのちにもまさるゆえ、わがくちびるはあなたをほめたたえる。

4 わたしは生きながらえる間、あなたをほめ、手をあげて、み名を呼びまつる。

5 (

6 わたしが床の上であなたを思いだし、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。

7 あなたはわたしの助けとなられたゆえ、わたしはあなたの翼の陰で喜び歌う。

8 わたしの魂はあなたにすがりつき、あなたの右の手はわたしをささえられる。

9 しかしわたしの魂を滅ぼそうとたずね求める者は地の深き所に行き、

10 つるぎの力にわたされ、山犬のえじきとなる。

11 しかし王は神にあって喜び、神によって誓う者はみな誇ることができる。偽りを言う者の口はふさがれるからである。  

詩篇73:25-26

25 わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。

26 わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。