an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

エチオピヤびとエベデメレク(2)

エレミヤ38:1-9

1 マッタンの子シパテヤ、パシュルの子ゲダリヤ、セレミヤの子ユカル、マルキヤの子パシュルはエレミヤがすべての民に告げていたその言葉を聞いた。

2 彼は言った、「主はこう言われる、この町にとどまる者は、つるぎや、ききんや、疫病で死ぬ。しかし出てカルデヤびとにくだる者は死を免れる。すなわちその命を自分のぶんどり物として生きることができる。

3 主はこう言われる、この町は必ずバビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを取る」。

4 すると、つかさたちは王に言った、「この人を殺してください。このような言葉をのべて、この町に残っている兵士の手と、すべての民の手を弱くしているからです。この人は民の安泰を求めないで、その災を求めているのです」。

5 ゼデキヤ王は言った、「見よ、彼はあなたがたの手にある。王はあなたがたに逆らって何事をもなし得ない」。

6 そこで彼らはエレミヤを捕え、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ入れた。すなわち、綱をもってエレミヤをつり降ろしたが、その穴には水がなく、泥だけであったので、エレミヤは泥の中に沈んだ。

7 王の家の宦官エチオピヤびとエベデメレクは、彼らがエレミヤを穴に投げ入れたことを聞いた。その時、王はベニヤミンの門に座していたので、

8 エベデメレクは王の家から出て行って王に言った、

9 「王なるわが君よ、この人々が預言者エレミヤにしたことはみな良いことではありません。彼を穴に投げ入れました。町に食物がなくなりましたから、彼はそこで餓死するでしょう」。 

  もし私たちがエベデメレクの立場であったら、敵の軍隊が今にも自分のいる町を侵略し破壊しようという緊迫した状況において、どのような行動を取っていただろうか。自分の主人はつかさたちのプレッシャーによって不安定に態度を変え、町の民全体が預言者エレミヤの言葉に信頼せず、むしろ彼を殺そうとしていた。井戸の落とされ、放っておけば飢え死にするしかなかった預言者の命を助けるために、つかさたちや民衆に逆らってリスクを冒そうなんて考えただろうか。迫りくるとてつもない危機に、一人の外国人の侍従の信仰による選択などどれほどの価値があると思えただろうか。

 しかし主なる神はこのエベデメレクの行動によって、バビロニア軍がエルサレムの町を陥落したとき、彼の命を守ることを約束したのである。

エレミヤ39:15-18

15 エレミヤが監視の庭に閉じこめられていた時、主の言葉が彼に臨んだ、

16 「行って、エチオピヤびとエベデメレクに告げなさい、『万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、わたしの言った災をわたしはこの町に下す、幸をこれに下すのではない。その日、この事があなたの目の前で成就する。

17 主は言われる、その日わたしはあなたを救う。あなたは自分の恐れている人々の手に渡されることはない。

18 わたしが必ずあなたを救い、つるぎに倒れることのないようにするからである。あなたの命はあなたのぶんどり物となる。あなたがわたしに寄り頼んだからであると主は言われる』」。 

  新約聖書は終わりの時にあざける者が主の再臨の約束をあざけることが予示されている。

Ⅱペテロ3:3-4

3 まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、

4 「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。 

 これらの人々は聖書の中に記されている主の再臨に関する預言を知識として知っているが、心ではそれを全く信じていないで、自分の望むままに自分の将来を計画立て生きている人々である。

 彼らは言う。「一世紀に生きていたパウロやヨハネは主の再臨がすぐに来ると信じていたけれど、それから二千年近く経っているのに、まだそんなこと信じているのか!?」と。そして自分がまるで全世界の平和の大使に選ばれたかのように、「そんなくだらないこと言っていないで、もっと社会の平和のために働きなさい」とあざける。しかし彼の考えている「平和」と、主なる神が御子イエスを犠牲の死を通して与えてくださる「真の平和」が異なることを想像してみることすら拒否する。このような人にとって、主の約束を信じて語る人々は、「町に残っている兵士の手と、すべての民の手を弱くし」「民の安泰を求めないで、その災を求めている」ように見えるのである。

 このような文脈において、「王のしもべ」という意味の名をもつエベデメレクの信仰的行動は、終わりの時に生きる私たちにとって大いなる教訓ではないだろうか。私たちの言動は誰かの過ちを指摘し、ひどく苛立たせるようなものかもしれない。そしてその行動自体は、取り巻く危機的状況においては全く無意味に映るかもしれない。(エベデメレクがしたことは、民に憎まれ、井戸の中で死にそうになっていたたった一人の男を助けた「だけ」で、飢えに苦しむ民全体のためにパンを備えたわけでも、武器を手にし門の外へ出て敵と勇敢に戦ったわけでもなかった。)

 そしてその信仰的選択を行動に移すにあたって、同調したり協力してくれる人々の数は少なく、またどうも当てにできないような不安定なものかもしれない。(エレミヤ38:10では、翻訳に使った写本によって「三人」と「三十人」の違いがある。)また自分たちが持っているものは「古い布切れ」や「着ふるした着物」(エレミヤ38:11)ように情けないものに思えるかもしれない。

 しかし人の心を知る主なる神は、私たちの思いや命を懸けた選択をご存じであり、それに対してかの日に必ず報いてくださる方である。

マラキ3:13-18

13 主は言われる、あなたがたは言葉を激しくして、わたしに逆らった。しかもあなたがたは『われわれはあなたに逆らって、どんな事を言ったか』と言う。

14 あなたがたは言った、『神に仕える事はつまらない。われわれがその命令を守り、かつ万軍の主の前に、悲しんで歩いたからといって、なんの益があるか。

15 今われわれは高ぶる者を、祝福された者と思う。悪を行う者は栄えるばかりでなく、神を試みても罰せられない』」。

16 そのとき、主を恐れる者は互に語った。主は耳を傾けてこれを聞かれた。そして主を恐れる者、およびその名を心に留めている者のために、主の前に一つの覚え書がしるされた。

17 「万軍の主は言われる、彼らはわたしが手を下して事を行う日に、わたしの者となり、わたしの宝となる。また人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。

18 その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と、仕えない者との区別を知るようになる。

Ⅰコリント15:58

だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

Ⅱペテロ3:14

愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 

 

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