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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

主イエス・キリストによる充足とこの世の誘惑

キリストにおいて 十字架の言 フリーメイソンー歴史の光と影 終わりの日の警告

  ここ数日、フリーメイソンとキリスト者の関係に関する記事をいくつか書いたが、私自身の本質的な関心は全容の掴めない秘密結社そのものより、「なぜ御子イエスの尊き血によって贖われたキリスト者が、このような組織の権威を必要とするのだろうか」「霊的欠乏をこの世の権能によって満たそうしているのではないか」という疑問である。

 主イエス・キリストは山上の垂訓において、「誓い」について明確に語っている。

マタイ5:33-37

33 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

34 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。

35 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。

36 また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。

37 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

 キリスト者はただ十字架の犠牲の死という絶対的な神の保証によって救われた罪びとだが、これらの主の戒めを蔑ろにしてまで忠誠を誓わなければならない「権威」は、一体何を保証しているのだろうか。

 主イエスはご自身が選んだ弟子たちに、この地上の世界に生きているがその価値観においてこの世界には属していない、という真理を繰り返し語った。

ヨハネ15:19

もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。

ヨハネ17:14-16

14 わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。

15 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。

16 わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。

17 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。 

 それにもかかわらず、なぜ教会は「地上における影響力をもつことによって神の栄光を顕す」という大義名分によって、この世界の権威や影響力に媚を売らなければならないのだろうか。

 ボローニャ大学でキリスト教史を教え、クエーカー派信徒であったピエール・チェーザレ・ボーリ教授(1937-2012)は、著書『Chiesa primitiva』(初代教会)の中で以下のように書き記している。

Chiesa primitiva,

Pier Cesare Bori,

Paideia Editrice Brescia

p.22

Intorno alla fine della prima metà del terzo secolo, il volto della chiesa appare così decisamente mutato rispetto all'epoca delle origini. Il fenomeno delle conversioni numerose, ma qualitativamente incosistenti, si fa sempre più preoccupante, tanto più quando tocca lo stesso clero, creando talvolta un conflitto scandaloso tra la dignità formale della carica e la sostanziale inettitudine del ministro cui è affidata. Contemporaneamente, come si è detto, si fa sempre più significativa e condizionante la presenza delle classi abbienti nella chiesa (e delle ricchezze ingenti affidate all'amministrazione della chiesa). Nel corso del terzo secolo ≪si moltiplica il contatto tra il mondo e la società cristiana... Poche erano le situazioni considerate come incompatibili con il cristianesimo, e con la stessa qualità di presbitero o di vescovo... Paolo di Samosata cumulava le funzioni di vescovo d'Antiochia con un'altra posizione nelle finanze pubbliche; il suo avversario, Malchione, era direttore della scuola ≪ellenica≫ ad Antiochia, cosa del tutto straordinaria per un prete in funzione. Il matematico Anatolio, capo della scuola aristotelica di Alessandria, fu elevato all'epicopato. Verso la fine del terzo secolo, il direttore della manifattura imperiale di porpora, a Tiro, era un prete di Antiochia. La casa imperiale, da Nerone fino a Diocleziano, contò sempre molti cristiani. Alla lunga li si vide accettare non solo dei compiti finanziari, ma delle magistrature muncipali o addirittura provinciali. Che dire? Si videro dei fedeli del Cristo accedere ll flaminato, cioè divenire sacerdti pagani... Questa tolleranza tocca veramente l'assurdo... Sarebbe stato meglio forse [nel Sinodo di Elvira]condannare in blocco e senza remissione quest'enorme deroga ai princìpi cristiani più elementari≫.

 

三世紀前半の末期において、教会の様相が初代教会時代に比べて決定的に変わったのは明らかである。多数だが質的に中身のない回心の現象は、さらに憂慮すべきものとなり、特に聖職者自身において、職務の形式的な特権と、委ねられた奉仕における根本的な不適格との間に、時にスキャンダラスな矛盾を生み出していた。同時に、教会における富裕階級(と教会の管理に委ねられた莫大な富)の存在がさらに重要となり、条件づけるようになっていった。

三世紀において≪一般社会とキリスト教社会の接触が増え...キリスト教や司祭もしくは司教の肩書自体と両立し得ないと判断される状況は少なかった...サモサタのパオロはアンテオケの司教の役割と公的財務における他の地位を兼任していた。彼の反対者であったマルキオーネは、アンテオケのギリシャ学校の校長であったが、それは現職の司祭にとって特殊なことであった。

数学者アナトーリオは、アレキサンドリアのアリストテレスの学校の長であったが、司教の地位まで昇進した。三世紀末頃には、テュロスの紫染料のローマ帝国営工場の工場長は、アンテオケの司祭であった。

ネロからディオクレティアヌスに至るまで、皇帝家には常に多くのキリスト者がいた。時が経つにつれ、彼らは財政の任務だけでなく、町や地方の司法の職務まで受けるようになった。それどころか、キリストの信奉者たちが神官、つまり異教の祭司となるまでに至ったのである...このような認容はまさに不条理である...キリスト教の最も基礎的な道徳律に対するこのとてつもない逸脱は、おそらくエルビラ公会議*においてまとめて容赦なく否認していた方がよかっただろう≫

(*現在のスペインのグラナダ近郊で306年頃行われた教会会議)

 勿論、ローマ帝国による迫害下にあった教会を理想化し、その後の時代の教会を「この世と妥協し、堕落した教会」と見なすことは単純すぎるだろうが、黙示録の七つの教会への手紙を読んでもわかるように、時の経過と共に、信仰者が「初めの愛から離れ」、キリストの十字架の言葉よりも自己実現を求める誘惑に陥る現実は明らかに存在したし、今でも存在し続けているのである。

 だからこそ、信仰者を神が求める本来の姿に造り変えることができる唯一の霊的源泉である十字架に今一度戻り、あの「究極の充足」によって最後まで歩み続けよう。

コロサイ2:6-10a

6 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。

7 また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。

8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。

9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、

10a そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。

マタイ5:2-3

2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 

ローマ12:16

互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。 

Ⅰコリント7:31

世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。 

Ⅰテモテ6:6-8

6 しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。

7 わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。

8 ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。 

ピリピ3:17-21

17 兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。

18 わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。

19 彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。

20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。