an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

イタリア中部地震

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(13世紀の鍾塔が崩壊せず立っている。その時計の針は、最初の揺れが起きた3時37分を指したまま止まっている。)

 今回の地震では、特にAmatrice(アマトリーチェ 動詞Amareから派生する「愛する人」「恋人」「アマチュア」という意味)という町が被害が大きかった。この町は、2009年に地震によって甚大な被害を受けたラクイラから約40km(1300年代や1700年代など周期的に地震が発生し、被害を受けている)しか離れていないところにある。

 人口2600人ほどの小さな町だが、8月はバカンスに訪れる人や帰省する人も多く、実際、観光客もかなり犠牲になったようである。現時点(8月26日)で267名の犠牲者が公表されているが、今後その数はさらに増えると予想される。

 今朝もまたマグニチュード4の揺れがあり、建物が崩壊した。最初の揺れから今日まで、マグニチュード2以上の揺れが800回記録されているというから、全く安心できない状況である。

 イタリアのほとんどの建物はレンガや石を積み上げて建てたもので、一度大きな揺れを受けるとレンガ同士の「つなぎ」が壊れ、その強度は一気に落ち、その後の繰り返しの揺れで崩壊する可能性が大きくなる。2012年、ボローニャ市郊外で発生した地震でも、二度目の揺れで崩壊した建物が多かった。私もその時は建物の中にいたが、日本における地震で建物が揺れるのとは違い、ガチガチした「固い」揺れに「これは崩れるかも」という印象を受けたことがある。イタリアでは地震がおきたら、真っ先に外に出るのはそのためである。

 ニュースを聞いていて、1980年にカンパーニア州のイルピーニアでおきた地震を体験した信仰者の証しを思い出した。この姉妹は地震が起きた時、学校の友達と道を歩いていたが、突然道沿いの壁が倒れてきて、その衝撃で近くに駐車してあった車の下に吹き飛ばされ助かったそうである。しかし、車の下から出ていた両足は崩れた壁でつぶされ、義足を使わなければいけなくなった。彼女は車の下で泣きながら友達の名を呼んだが答えはなく、結局楽しくおしゃべりしながら一緒に歩いていた親友を全員失ってしまった。

 彼女はその悲しい経験をきっかけに、自分が生き残ったことや命について考えるようになり、主イエス・キリストに対する信仰をもつに至ったという。彼女が「与えられている命」について証をしている時、時が止まったかのように、遥か遠くを見つめていたのが印象的であった。