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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「血の戒め」と「十字架の主イエス・キリスト」

十字架の言 聖別(キリストとの交わり)

レビ17:1-9

1 主はまたモーセに言われた、 

2 「アロンとその子たち、およびイスラエルのすべての人々に言いなさい、『主が命じられることはこれである。すなわち

3 イスラエルの家のだれでも、牛、羊あるいは、やぎを宿営の内でほふり、または宿営の外でほふり、

4 それを会見の幕屋の入口に携えてきて主の幕屋の前で、供え物として主にささげないならば、その人は血を流した者とみなされる。彼は血を流したゆえ、その民のうちから断たれるであろう。

5 これはイスラエルの人々に、彼らが野のおもてでほふるのを常としていた犠牲を主のもとにひいてこさせ、会見の幕屋の入口におる祭司のもとにきて、これを主にささげる酬恩祭の犠牲としてほふらせるためである。

6 祭司はその血を会見の幕屋の入口にある主の祭壇に注ぎかけ、またその脂肪を焼いて香ばしいかおりとし、主にささげなければならない。

7 彼らが慕って姦淫をおこなったみだらな神に、再び犠牲をささげてはならない。これは彼らが代々ながく守るべき定めである』。

8 あなたはまた彼らに言いなさい、『イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、燔祭あるいは犠牲をささげるのに、

9 これを会見の幕屋の入口に携えてきて、主にささげないならば、その人は、その民のうちから断たれるであろう。

 エジプトから出て荒野を約束の地に向かって移動していたイスラエルの民とその民のうちに住む異邦人に対して、主なる神は供え物の動物を屠るときの規定を定めた。

 まず牛、羊、ヤギを宿営の内もしくは外で屠る場合、その供え物としての動物は、主の幕屋に携えて行き、主に捧げなければいけなかった。もし主に捧げないならば、その動物を屠った者は動物の命を奪った者として見なされ、その命の責任を負って民のうちから断たれる、という厳しいものであった。

それを会見の幕屋の入口に携えてきて主の幕屋の前で、供え物として主にささげないならば、その人は血を流した者とみなされる。彼は血を流したゆえ、その民のうちから断たれるであろう。

 これはイスラエルの民が自分勝手に供え物を捧げ、無秩序な礼拝、特に偶像崇拝を防ぐ目的があった。

これはイスラエルの人々に、彼らが野のおもてでほふるのを常としていた犠牲を主のもとにひいてこさせ、会見の幕屋の入口におる祭司のもとにきて、これを主にささげる酬恩祭の犠牲としてほふらせるためである。

彼らが慕って姦淫をおこなったみだらな神に、再び犠牲をささげてはならない。これは彼らが代々ながく守るべき定めである』。

 それゆえ、供え物の動物は幕屋の中で主なる神に仕えていた祭司に携えて行き、その祭司の手を通して、血は祭壇に注ぎかけられ、脂肪は祭壇において焼かれなければいけなかった。

 9節では繰り返し、供え物としての動物を屠る場合、主の前に捧げなければ「その民のうちから断たれるだろう」と警告している。

これを会見の幕屋の入口に携えてきて、主にささげないならば、その人は、その民のうちから断たれるであろう。

 供え物の動物の脂肪は食することが禁じられていたから(レビ3:16-17)、祭壇の上で焼かれなければならなかったが、その肉の部分に関しては、食用として与えられていた。そこで「血の戒め」が書かれているのである。つまり血は、その肉と共に「食べる」ことは許されていなかった。なぜなら、血は祭壇に注がれていなければいけなかったからである。

レビ17:10-12

10 イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。

11 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。 

12 このゆえに、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち、だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない。

 血は、供え物の動物を屠った者がその屠られた動物の命の責任を負うことがないように、つまり主なる神に「血を流した者とみなされる」ことがないように、主の祭壇に注がれなければならなかったのであり、もし肉と共にその血を食べた場合、屠られた動物の命の責任を負わなければならなかった。だから主の前に供え物の動物の肉と血を捧げなかった場合と同様、「その民のうちから断つであろう」と警告しているのである。

 そして供え物ではなく、狩猟して得た食用としての動物の場合、供え物ではないので主の前に捧げる必要はなかったが、食用としてその動物の命が犠牲になったことには変わりがなかった故、血は祭壇に注がれる代わりに、大地に注がれ、土で覆われなければならなかった。その犠牲となった命の責任を負うことがないためであった。しかしもしその動物の血を大地に注がず、肉と共に食べた場合、その犠牲となった命の責任を負って、民から断たれなければならなかった。

レビ17:13-14

13 イスラエルの人々のうち、またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち、だれでも、食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は、その血を注ぎ出し、土でこれをおおわなければならない。

14 すべて肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。

 前回の記事でも書いたが、この「犠牲となった動物の血を食べる者は断たれる」という警告と、主イエスの言葉「人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる」を比較すると、その深い意味に言葉を失ってしまう。

ヨハネ6:53-56

53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。

54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。

55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。

56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 

 勿論この「人の子の肉を食べ、その血を飲む」という行為は、霊的なものであり、パンと葡萄酒というシンボルを食することによって体現される。そのシンボルを食することによって、私たちの罪のために犠牲となり、「民から断たれた」方と一体となったことを顕すのである。

イザヤ53:4-8

4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。

7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。 

 供え物の動物の血を肉と共に食べる者は、その死の責任を負って民から断たれなければならなかった。「世の罪を取り除く神の子羊」として選ばれた御子イエスの「肉を食べ、血を飲む」者は、その犠牲の死が自分の罪のためであることを神の前で認め、律法を守る努力によっては決して神に義と認められないことを告白していることになる。

 そして「民から断たれ、そして御霊によって復活した」方である主イエス・キリストに属する天の民、つまりキリストの体である教会に属する者となるのである。

 兄カインに殺されたアベルの血は、土の中からその咎の責任を主なる神に訴え、叫んでいた。

創世記4:8-10

8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。 

9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。 

 しかし御子の血は、私たちのうちに与えられた聖霊によって、全ての罪の赦しと救いを力強く語っている。

へブル12:22-25

22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、

23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、

24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。

25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。 

Ⅰヨハネ5:7-13

7 あかしをするものが、三つある。

8 御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。

9 わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。

10 神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている。神を信じない者は、神を偽り者とする。神が御子についてあかしせられたそのあかしを、信じていないからである。

11 そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。

12 御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。

13 これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。