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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」

試練 祈り 聖別(キリストとの交わり)

マタイ20:20-23

20 そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。

21 そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。

22 イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。

23 イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。 

マタイ26:36-44

36 それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。

37 そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。

38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。

39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。

40 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。

41 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。

42 また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。

43 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。

44 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。 

 ゼベダイの二人の息子ヤコブとヨハネは、主イエスの「わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」という問いかけに、躊躇せず「できます」と答えた。勿論、この兄弟らは「主イエスが飲もうとしている杯」が何を意味しているか、ほとんど理解していなかった。むしろ理解していなかったからこそ「できます」と即答できたのだろう。

 そして主イエスはそのご自身の「杯」のために、ゲツセマネの園において夜を徹して苦しみ、悲しみ、涙を流しながら「もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と繰り返し父なる神に祈った。

 ゼベダイの子ヤコブとヨハネはその時、近くで眠っていた。

 私たちの信仰告白や決意、覚悟などを主イエスは蔑ろにしない。しかし主は全てをご存じである。私たちの決意や決断の下に隠れている、私自身も知らない自分の弱さ、情けなさ、愚かさを、様々な経験を通し光を当て、「心は熱しているが、肉体が弱いのである」ということがどれほど現実的かを示してくださるのである。

 そして『主の祈り』の中で、「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください」と祈りなさい、と命じされたことの意味を知るのである。

 ヤコブとヨハネが答えた「できます」という答えのためにも、主イエスは苦悩し、十字架の死と通られたことを決しては忘れてはならない。