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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

幼稚な遊び

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(トルコ人アーティストYasam Sasmazerの作品)

 子供の時、誰かの足をわざと踏んで、相手が怒って文句を言ったら、「『人が嫌がることをすすんでするような人になりなさい』って先生が言ってただろ」とおどけて見せるという悪戯があった。子供の無邪気な悪戯なら笑って済むことだが(足を踏まれた方はいい迷惑)、もし大人が真面目にこのようなひねくれた言動をとっていたら冗談では済まなくなるだろう。

コロサイ2:16

だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。 

 この一文だけを読むと、確かにモーセの律法の中にある飲食に関する規定や、祭や新月や安息日など教えを尊守している人々が、その信条に基づく行動について誰かに批評されたとしても、受け入れてはいけない、と勧告しているように解釈できるかもしれない。

 しかしここでいう「あなたがた」は、「律法を守らなければ救われない」と主張していたユダヤ人のことではなく、信仰によって救いを受けていたコロサイの異邦人の信徒であり、またこの言葉を書いた使徒パウロも、「飲食や、祭や新月や安息日などの関する規定を守らなければ救われない」などと主張しておらず、むしろその反対の事を同じ手紙の中ではっきりと主張しているのである。

コロサイ1:20ー23

20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、

21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。

22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。

23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。

 使徒パウロはコロサイ教会だけでなく、ガラテヤ教会にも同じ内容の訓戒を書き送っている。

ガラテヤ4:8-11(新改訳)

8 しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。

9 ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

10 あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。

11 あなたがたのために私の労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。

 つまりコロサイ2:16において使徒パウロがコロサイの信徒へ書き送っていることは、「飲食や、日や月や季節や年などについて、『なぜ律法には書いてある通りにしないのだ』とあなたがたを非難する者がいても、その批評を受け入れてはならない」と主張しているのである。

 私たちの「先生」である主イエス・キリストの言葉を真っ直ぐ受け止め、「幼稚な教え」を卒業し、彼が望むような「大人」になりたいものである。

 

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