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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

主の御前に立つための備え

終わりの日の警告 聖書による検証

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ヨハネ21:21-23

21 ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」。

22 イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。

23 こういうわけで、この弟子は死ぬことがないといううわさが、兄弟たちの間にひろまった。しかし、イエスは彼が死ぬことはないと言われたのではなく、ただ「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか」と言われただけである。

 老使徒ヨハネが流刑の地パトモス島で『黙示録』を書き終わった時、彼の心の中は間違いなく「しかり、わたしはすぐに来る」(黙示録22:20)という主イエスの言葉で満たされ、使徒自身も喜んで「アァメン、主イエスよ、きたりませ」と祈り答えていたことだろう。

 主の再臨を心から待っていた老使徒ヨハネには、彼が若いときに聞いた「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても・・・」という言葉は、どんなに重みがあっただろうか。「私の主イエスは、私が生き残って来臨の御姿を見ることを望んでおられた」という思いは、否定することはできないほど彼の心に刻み込まれていたことだろう。何せ、主イエス自身が語られた言葉だったのだから。

 それでも、使徒ヨハネはパトモス島から小アジアに戻り、来臨の時を見ず天寿を全うした。彼が最後に息を吸い、目を閉じようとしていたとき、主イエスの言葉に失望していただろうか。期待していたのに裏切られたという苦々しい思いで地上の生を終えただろうか。むしろ、生き残って来臨の主に迎え入れられようが、天寿を全うして肉体の死を通ろうが、彼の心は自分のことを愛しておられる主イエスに再び会えることで、喜びに満たされていたことであろう。

 「生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたち」(Ⅰテサロニケ4:15)という自覚を持っていた使徒パウロはしかし、ネロ皇帝の時代にローマで殉教した。使徒パウロは地上の命を終えるとき、自分の信念に対して後悔していただろうか。それとも希望と喜びに満ちて殉教を受け入れただろうか。ローマの牢獄の中で晩年に書いた彼の言葉が、彼の希望に満ちた心を伝えている。

Ⅱテモテ4:6-8

6 わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。

7 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。

8 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。 

 キリスト教がローマ帝国の「国教」となった後、アウグスティヌスのように「千年期後再臨説」を信じ、地上のおけるキリストの支配が進展すると信じていた人々も、十九世紀に「大患難期前携挙説」を説いていたダービー師も、「大患難期後再臨説」を信じていた人々も、自分たちがそうなると信じていたようにはならず、ある人は不慮の事故によって、またある人は不治の病気になって、また他の人は天寿を全うし、それぞれ主の御前にたつことになったのである。

 彼らはそれぞれ自分たちが信じていたようにならなかったことに失望しつつ、地上の人生を終えたのだろうか。それとも愛する主イエスの御顔を見るという希望をもちつつ死の瞬間を迎えたのだろうか。

 今この瞬間に地上に生きていて、主の再臨を心から待ち望んでいる私たち信仰者でも、自分自身の明日を知らない存在である。交通事故や心臓発作など予期できぬ形でこの世の生を今日終えなければならない可能性もある。

 もしかしたら使徒パウロのように主の再臨の時まで生き残ると確信を抱きながらも、投獄そして殉教を通らなければならないかもしれない。

 いずれにせよ、全ての信仰者は主なる神の御前に一人ずつ立つために、この地上においてなすべきことを与えられている存在である。

マタイ24:42-47

42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 

43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。

44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。

45 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。

46 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。

47 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。 

使徒1:6-8

6 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。

7 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。

8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 

Ⅱテモテ4:1-5

1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。 

2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。 

3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、

4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。 

Ⅰヨハネ2:28

そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。 

 

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