an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ユダヤ人もギリシヤ人も、一つの御霊によって、「キリストの体」となった

Ⅰコリント12:12-13

12 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。

13 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。 

 生粋のユダヤ人であった使徒パウロは、ここで明確に「私たちは皆、ユダヤ人もギリシャ人も、一つの御霊によって、キリストにあって、一つの体である」と宣言している。勿論、ここでいう「体」は肉体的なものではなく、霊的な体を指す。

 そして新約聖書の啓示は、「教会がキリストの体である」と明確に語っている。勿論、この場合、「教会」は決して宗教的建築物を意味せず、人種や社会的地位など違いを超え、復活したキリストを信じて新生体験をした信仰者の集まりをさしている。

エペソ1:23

この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

コロサイ1:18;24

18 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。 

24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。 

 つまり使徒パウロや他の使徒たちのように人種的に生粋のユダヤ人であろうと、ギリシャ人やその他すべての人種に属していようが、救い主イエス・キリストを信じることによって、「キリストの体」をなすのである。人種の違いも、社会的立場の違いも、性別も、その「唯一の体にあって一つであること」を妨げることはできない。なぜなら、それは神である御霊によるからである。

 『コロサイびとへの手紙』にある使徒パウロの言葉はさらに奥深い。

コロサイ3:11

そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

  Ⅰコリント12:13の聖句にあるカテゴリーに「未開人」と「スクテア人」が加わっている。特にこの「スクテア人」というカテゴリーを使徒パウロが書いたことに、私は神の全知と霊感の完全性を見出す。

 スクテアもしくはスキタイ(Σκύθαι)は紀元前8世紀~紀元前3世紀にかけて、黒海北部の東ヨーロッパから西アジアを中心に活動していたイラン系の遊牧騎馬民族および遊牧国家であるが、国家が衰退したのちも古代ギリシャ人は、その地方に住む人々を包括的に「スキタイ人」と呼んでいた。使徒パウロもその習慣にならい使ったのだろう。紀元前1世紀ごろは、スキタイ人の子孫が、黒海における商業を牛耳っていた。

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(紀元前100年頃の領域図)

 D.J.Wiseman共著の『Dizionario Biblico GBU』によると、スキタイ人はAschenazアシュケナジ(創世記10:3;歴代上1:6;エレミヤ51:27)と知られ、アッシリア人にはIshkuzaと呼ばれていた、とある。

 ウィキペディアのイタリア語ページの語源のセクションでは、スキタイ人が中東を侵略したときに、アッシリア人とヘブル人はそれぞれaškuza/iškuzaと彼らを呼んだと説明されている。

 DBPEDIAhttp://fr.dbpedia.org/page/Ashkenazには、ロシアのアシュケナジ系ユダヤ人作家・歴史家のアイザック・アシモフも、「聖書のアシュケナジAshkenaz(אשכנז)は、スキタイ人を示すアシュクズAshkūz (אשכוז)から派生する」と主張していたことが記述されている。

 『「アシュケナジ系ユダヤ人」の遺伝子調査に関する記事について』の中で根拠として出てくるトルコ北東部の地名(Işkenaz、Eşkenez、Aşhanas、Aschuz)と比較すると、何かしらの関連性があると推測できる。

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 いずれにせよ、使徒パウロが『コロサイびとへの手紙』を書いた一世紀中頃にはまだ「アシュケナジ系ユダヤ人」というカテゴリーは存在しなかったのだから、神の霊感によって「スクテア人」をリストの中に書き記したのは、まさに導きだったのだろう。

 つまりたとえセムの子孫で「純血な」ユダヤ人であろうと、歴史的・遺伝学的にはスクテア人である可能性があるアシュケナジ系ユダヤ人であろうと、主イエスを自分の救い主であると信じれば救われ、同じ信仰によって救われたすべての異邦人(ユダヤ人以外の人々)の信仰者と共に、キリストの体において神の教会と一つになるのである。そして物質的・地上的な意味を超えて、真に霊的な意味で、皆が「神の子」となり、「アブラハムの子孫」であり、「約束による相続人」となるのである。

ガラテヤ3:26-29

26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。

27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。 

28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。 

29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

 私たちの主イエス・キリストにすべての栄光がありますように。