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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(41)彼によって神の怒りから救われるであろう

ローマ5:5-11

5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。

 使徒パウロは、信仰によって主イエス・キリストの恵みに導き入れられる以前の状態を、以下のように表現している。

  • まだ弱かったころ
  • まだ罪人であった時
  • 敵であった時

 つまり「善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がない」弱さに囚われ、本来あるべき姿から外れた罪びとで、意識的にせよ無意識にせよ、神の意志に絶えず敵対していた状態を示している。聖書はそのような状態を、「怒りの子」と呼んでいる。

エペソ2:1-3

1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、

2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。 

 「怒りの子」とは、「怒りっぽい人」という意味ではなく、「罪によって神の怒り、つまり神の正しい裁きを受けるふさわしい罪人」のことを指す。

 「神の怒り」と聞くと、「律法の呪い」という表現に対する時と同じように、神の愛と比較して拒否反応を示す人々がいるが、それは聖書全体に明確に啓示されている真理である。神の怒りに関連する聖句だけでも、数多くあるが、その一部を以下に引用してみる。

出エジプト4:14

そこで、主はモーセにむかって怒りを発して言われた、「あなたの兄弟レビびとアロンがいるではないか。わたしは彼が言葉にすぐれているのを知っている。見よ、彼はあなたに会おうとして出てきている。彼はあなたを見て心に喜ぶであろう。 

民数記11:1

さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた。 

申命記32:22

わたしの怒りによって、火は燃えいで、陰府の深みにまで燃え行き、地とその産物とを焼きつくし、山々の基を燃やすであろう。 

ヨシュア7:1

しかし、イスラエルの人々は奉納物について罪を犯した。すなわちユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカンが奉納物を取ったのである。それで主はイスラエルの人々にむかって怒りを発せられた。

Ⅱサムエル6:7

すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。 

Ⅱ歴代32:26

ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり、またエルサレムの住民も同様にしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった。 

詩篇2:11-12

11 恐れをもって主に仕え、おののきをもって

12 その足に口づけせよ。さもないと主は怒って、あなたがたを道で滅ぼされるであろう、その憤りがすみやかに燃えるからである。すべて主に寄り頼む者はさいわいである。

詩篇30:5

その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。 

ミカ7:18-20

18 だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、

19 再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ、

20 昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。

マタイ3:7

ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。 

ヨハネ3:36

御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。

ローマ1:18

神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 

ローマ12:19

愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。 

エペソ5:6

あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。 

黙示録19:15

その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。

 このように旧約聖書だけではなく、新約聖書、つまりイエス・キリストの恵みを啓示している書においても、「神の怒り」を言及している箇所が数多くあるのである。

 勿論、この「神の怒り」は人間の感情的な怒りとは全く異なり、罪に対する神の正しい裁きの顕れを示していることは、以下の聖句において逆説的に暗示されている。

ヤコブ1:20

人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。

 しかしそのような「神の怒り」を受けるにふさわしい「怒りの子」であった私たちのために、御子イエス・キリストが身代わりとなって十字架の上で罪の裁きを受けてくださったことによって、その御子の身代わりの死を信じる者はすべて、神の怒りから救われると約束されているのである。

わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

 これこそが聖書が啓示する神の福音、つまり「良き知らせ」である。

 

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