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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(35)十字架の死を通り、復活した望み

ローマびとへの手紙 十字架の言

ローマ4:16-18

16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、

17 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。

18 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。

 アブラハムの「死人を生かし、無から有を呼び出される神」に対する信仰は、イサクの奇蹟的な誕生だけでは完成されなかった。唯一の跡取りであるイサクが成長した後、創世記22章に啓示されているモリヤ山におけるイサクの犠牲を通らなければいけなかったのである。

へブル11:17-19

17 信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

18 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

19 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

 イサクの誕生前は、アブラハムには子孫を得る「望み」は全くなかった。しかしモリヤ山の犠牲の時、アブラハムは神自身が与えてくださっていた唯一の「望み」を、死に渡さなければいけなかったのである。約束されているはずのものが得られずに、長期間待たなければいけないのは、尋常ではない忍耐を必要とする。だが、実際に長い期間待った結果手にしたものを手放し「死に渡す」のは、さらに激しい葛藤を生む。しかしこれが、そしてこれだけが、神の祝福の法則である。神は十字架の死と復活の霊を通して、いつも働かれるのである。

ルカ24:19-21a

19 「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、

20 祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
21a わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。

 あなたの心の中にある希望は、御子の十字架に架けられ、一度「死に」、復活したことがあるだろうか。