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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(34)「死人を生かし、無から有を呼び出される神」を信じるために

ローマ4:16-25

16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、

17 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。

18 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。

19 すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。

20 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、

21 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。

22 だから、彼は義と認められたのである。

23 しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、

24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。

25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。 

  アブラハムの妻サラは、もともと子供を産めない体であった。しかしアブラハムの場合、エジプト出身のそばめハガルとの間にイシマエルが生れていたから、少なくとも彼が八十五歳の時は、子孫を残す力を持っていたことになる。

創世記16:3-4a;15-16

3 アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。

4a 彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。

15 ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエルと名づけた。

16 ハガルがイシマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは八十六歳であった。

 しかしそれから約十四年間、アブラハムは約束の子イサクが与えられるのを待たなければいけなかった。しかもその待っている期間に、アブラハムの体は子を作る力を失い、「死んだ状態」になってしまったのである!

 神はアブラハムに力が残っているうちに、奇蹟の力によってサラの胎を開き、子を授けることもできたはずである。しかし神は、アブラハムの体が「死んだ状態」になり、すべての人間的・地上的希望が完全に消え去る時まで「待って」おられたのである。

 それは、アブラハムの信仰が、単に子孫の繁栄を約束する神に対してではなく、「死人を生かし、無から有を呼び出される神」に全面的な信頼を置くためであった。

 霊的に同様のことが私たちの救いの道で起こる。私たちが真の意味で「義認」つまり自分の罪が赦され、神に受け入れられることを体験するのは、私たちが自分の中に善が全くなく、善を行う力もなく、神に正しいと認められる可能性を全くもたない罪びとであること、つまり自分が「霊的に死んだ状態」であることを認め、「御子イエスを死人の中からよみがえらせた方」を信じる時である。

 神はその時が来るまで待っている。様々な方法で語りかけ、働きかえながら。

ヨブ33:14-30

14 神は一つの方法によって語られ、また二つの方法によって語られるのだが、人はそれを悟らないのだ。

15 人々が熟睡するとき、または床にまどろむとき、夢あるいは夜の幻のうちで、

16 彼は人々の耳を開き、警告をもって彼らを恐れさせ、

17 こうして人にその悪しきわざを離れさせ、高ぶりを人から除き、

18 その魂を守って、墓に至らせず、その命を守って、つるぎに滅びないようにされる。

19 人はまたその床の上で痛みによって懲らされ、その骨に戦いが絶えることなく、

20 その命は、食物をいとい、その食欲は、おいしい食物をきらう。

21 その肉はやせ落ちて見えず、その骨は見えなかったものまでもあらわになり、

22 その魂は墓に近づき、その命は滅ぼす者に近づく。

23 もしそこに彼のためにひとりの天使があり、千のうちのひとりであって、仲保となり、人にその正しい道を示すならば、

24 神は彼をあわれんで言われる、『彼を救って、墓に下ることを免れさせよ、わたしはすでにあがないしろを得た。

25 彼の肉を幼な子の肉よりもみずみずしくならせ、彼を若い時の元気に帰らせよ』と。

26 その時、彼が神に祈るならば、神は彼を顧み、喜びをもって、み前にいたらせ、その救を人に告げ知らせられる。

27 彼は人々の前に歌って言う、『わたしは罪を犯し、正しい事を曲げた。しかしわたしに報復がなかった。

28 彼はわたしの魂をあがなって、墓に下らせられなかった。わたしの命は光を見ることができる』と。

29 見よ、神はこれらすべての事をふたたび、みたび人に行い、

30 その魂を墓から引き返し、彼に命の光を見させられる。 

Ⅱコリント1:8-9

8 兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、

9 心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。