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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「忘れられた女」ケトラ(1)

創世記25:1-10

1 アブラハムは再び妻をめとった。名をケトラという。

2 彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバクおよびシュワを産んだ。

3 ヨクシャンの子はシバとデダン。デダンの子孫はアシュリびと、レトシびと、レウミびとである。

4 ミデアンの子孫はエパ、エペル、ヘノク、アビダ、エルダアであって、これらは皆ケトラの子孫であった。

5 アブラハムはその所有をことごとくイサクに与えた。

6 またそのそばめたちの子らにもアブラハムは物を与え、なお生きている間に彼らをその子イサクから離して、東の方、東の国に移らせた。

7 アブラハムの生きながらえた年は百七十五年である。

8 アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息絶え、死んでその民に加えられた。

9 その子イサクとイシマエルは彼をヘテびとゾハルの子エフロンの畑にあるマクペラのほら穴に葬った。これはマムレの向かいにあり、

10 アブラハムがヘテの人々から、買い取った畑であって、そこにアブラハムとその妻サラが葬られた。 

 リチャード・エリオット・フリードマンは、トラー(モーセ五書)解釈書の中で、今回引用した聖句に記述されているケトラという女性に関して、「トラーの中で最も軽視されている重要人物」とコメントを残している。それが的確な表現かどうかはわからないが、確かにケトラは、「イスラエルの民の父」であり「信仰の父」「神の友」と呼ばれているアブラハムの妻の一人であり、アブラハムに6人もの子孫を残したわりには、新約聖書にも記述はなく(正妻サラとそばめハガルの名は書かれている)、一般的にはほとんど知られていない、「忘れられた女」と言っても過言ではないだろう。

 実際、引用した聖句において、「アブラハムは再び妻をめとった」とあり、「妻」(原語'ishshâh は、文脈によって「妻」とも「女」とも訳せる)と呼ばれているが、6節においては、エジプト出身のハガルと共に「そばめ」と呼ばれている。実に曖昧である。歴代誌においても、「アブラハムのそばめケトラ」と呼ばれている。

Ⅰ歴代誌1:28-34

28 アブラハムの子らはイサクとイシマエルである。

29 彼らの子孫は次のとおりである。イシマエルの長子はネバヨテ、次はケダル、アデビエル、ミブサム、

30 ミシマ、ドマ、マッサ、ハダデ、テマ、

31 エトル、ネフシ、ケデマ。これらはイシマエルの子孫である。 

32 アブラハムのそばめケトラの子孫は次のとおりである。彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバク、シュワを産んだ。ヨクシャンの子らはシバとデダンである。

33 ミデアンの子らはエパ、エペル、ヘノク、アビダ、エルダア。これらはみなケトラの子孫である。

34 アブラハムはイサクを生んだ。イサクの子らはエサウとイスラエル。 

 しかもこの箇所をよく読むと、ケトラの6人の子孫は「アブラハムの子」として数えられていないのに対して、同じ「そばめ仲間」であったハガルの子イシマエルは、約束の子イサクと共に「アブラハムの子」として呼ばれているのである。逆に彼女の6人の子たち、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバク、シュワは、「ケトラの子孫」と呼ばれ、彼女の孫も「ケトラの子孫」として記述されている。

 そして冒頭の聖句にあるように、アブラハムが享年175歳でこの世を去る前に、ケトラの子らは、イサクから引き離され、東の国、つまりアラビア半島の地域に移住させられている。またケトラの子孫は、彼らの実父アブラハムの葬式にも参加していないか、もしくは参加していてもイサクとイシマエルと同様の役割を与えられなかったようである(9節)。そしてケトラは、妻としてアブラハムと同じ墓に葬られることなく、時の流れの中に消えてしまった。

アブラハムがヘテの人々から、買い取った畑であって、そこにアブラハムとその妻サラが葬られた。

 アブラハムの後妻のようでそばめとして扱われ、アブラハムにもっと多くの子孫を残した女性なのに、一人の子しか残さなかった「そばめ仲間」ハガルよりも忘れられている女性、「トラーの中で最も軽視されている重要人物」とまで呼ばれているケトラと、その子孫に関して、これから数回に分けて考察し、聖書が今生きている私たちに語りかけてくる霊的メッセージについて共有してみたい。

 

(2)へ続く