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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「ナマケモノの視点」とキリストの十字架

終わりの日の警告 救いへの一歩 聖別(キリストとの交わり)

「なまけものに」 : 牧師の部屋

 「ナマケモノ」の視点、つまり「時流から外れ世を逆さに見る感覚」とは、実に面白い。

 時間的価値観だけでなく、この世の価値観全体を「逆さから見る感覚」は、永遠の神が信じる者に与えてくださるものである。信仰者には、キリストと共に十字架につけられこの世に対して死んだものとして、「十字架の上から」この世を見る目が与えられているからだ。

ガラテヤ6:14

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。 

 勿論、これは信仰者が反社会的な人間であることを意味しているわけではない。使徒パウロとシラス、そしてテモテの一行が、テサロニケの町へ宣教しに行ったとき、その町のユダヤ人たちは多くの人々が福音に従ったことを妬み、町の当局者たちと民衆の前で使徒パウロとシラスを中傷し訴えた。

使徒行伝17:1-7

1 一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。

2 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、

3 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。

4 ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。

5 ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。

6 しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。

7 その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。

 ユダヤ人たちの表現が福音宣教者たちに対して使った表現「天下をかき回してきたこの人たち」は、とても興味深い。原語「ἀναστατόω anastatoō」は「上下を引っ繰り返す、扇動する」などという原義をもつ。しかし、使徒パウロとシラスはテサロニケの町に滞在していた三週間に一体、何をしていたのだろうか。武器をとってクーデターを起こそうとでも計画していたのだろうか。町の統治者やローマ皇帝を批判し、シュプレヒコールを叫びながらデモ隊の先頭に立って町を練り歩いていたのだろうか。「一行」には、一体、何人の男がいたのか。物質的には何一つもたないこれらの三人の異国人は、ただ安息日にシナゴーグの礼拝に参加し、そこで「イエスがキリストである」と証し、聖書の預言に基づいて説明し論証していただけである。

 福音を信じた多くのギリシャ人は、使徒パウロとシラスの巧みな言葉に「洗脳された」のだろうか。パウロは彼らを脅して無理やり回心させたのだろうか。彼らの信心深い心が、聖霊の力によって、キリストの救いの福音を受け入れるよう開かれたからではないか。

 人の心はその罪によって、創造主なる神が求めている状態に対して「上下引っ繰り返って」しまっている。その状態が「ふつう」で、それに慣れてしまっているから、何か虚しいものを心に抱え、「何かが狂っている」と生き辛さと感じながらも日々生きている。しかし一旦、その心がキリストの福音の光に照らされると、自分たちの「秩序と乱し、上下引っ繰り返す」と感じ、拒否したり、ひどい場合は誹謗中傷したりするのである。

 創造主なる神は、罪によって神の栄光を失ってしまった人間に、ご自身の秩序に基づいた「再創造」を行いたいと願っている。そしてそれを行う力が聖書の御言葉にあるのだ。

Ⅰペテロ1:23-25

23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。

24 「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。

25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。 

 この終わりの時、この世に対して「ナマケモノ」であることを恥、「ナマケモノの視点」を失い、この世に同調し、一緒になって「ナマケモノの視点」を非難や嘲笑し、「十字架の敵」となって歩んでいる信仰者がいることは、悲しいかな、現実のことである。

ピリピ3:18-21

18 わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。

19 彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。

20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。

ローマ12:1-2

1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。