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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

新しいはじまりは「墓場」から

救いへの一歩 弱さのうちに顕れるキリストのいのち キリストにおいて

  新年明けましておめでとうございます。

ヨハネ20:1;11-18

1 さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

11 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

13 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。

14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。

15 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。 

 週の初めの日の夜明け。それはまさしく何かの始まりにふさわしい瞬間であった。しかしそれはまたとても奇妙なシチュエーションであった。神の御子イエスが死から復活したのである。前代未聞の偉大なる勝利、その凱旋のはじまりの瞬間。主イエスが十字架の上で暗闇の覆われたことを考えれば、彼の復活は御使いの軍勢の賛美に囲まれ、天からの閃光で黄金に輝く神殿で顕れるのがふさわしくなかっただろうか。しかし実際には、まだ薄暗い、全てを失った一人の女以外誰もいない墓場において顕れたのである。その姿はあまりにも日常的で、女には復活の主が園の番人に見えたほどであった。

 だがまさにこのようなシチュエーションのうちに、主なる神はご自身の計画の新しい局面を始められたのである。そしてそれは「マリヤよ」という一言から始まった。

 新年の始まりにあたり、あなたは一人ぼっちで泣いているかもしれない。すべてを失い、悪の闇が重く心にのしかかっているかもしれない。あまりにも空虚で、すべてにおいて低く、卑しさと弱さに対する苛立ちしか感じられないかもしれない。

 しかし死から復活し、今この瞬間も生きておられる主なるイエス・キリストは、あなたがいるその場所から、新しい一歩をあなたと共に始めたいと願っておられるのである。その始まりにおいて主イエスに必要なものは何もない。足りないものも何もない。ただあなたの名を呼び、あなたの心と共にご自身の計画を進めることを求めているだけである。

 主イエス・キリストは十字架の呪いの死を通して、この世界の最も低いところまで降りて行かれた。そして復活の命はそこから始まったのである。あなたにとっての「どん底」や「墓場」は、主イエスにあって「出会いの場所」そして「出発点」となりうるのである。

 

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