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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリスト者にとっての敵とは

 キリスト者が力や武器の行使によって戦わなければならない「敵」とは誰のことか。『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』と命じた主イエス・キリストの命令の背いてまで、闘い、傷つけ、死に追いやることを容認しなければいけないほどの「悪い者」とは一体誰のことだろうか。私たちの信条や政治形態を強要されることに対して抵抗している異国の人々か。自分の善意に対して唾を吐きかけた者か。神を冒涜する者か。彼らの内に、知らずに神に敵対して生きていた以前の自分、何をしているかわからないで生きていた自分を見い出さないだろうか。

 キリストの愛を知ったにもかかわらず、自分を愛する者さえも愛することがままならない、兄弟姉妹の間でもすれ違いや不調和が絶えない私たちには、本当に戦うべき相手がいるのではないだろうか。

マタイ5:43-48

43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

エペソ6:12ー18

12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、

15 平和の福音の備えを足にはき、

16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。

17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。

18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。 

 だからこそ、ゲツセマネの園で全人類の贖いのために寝ずに祈り戦った主イエスは、武装して自分を捕らえにきた人々に対して、十二軍団以上の御使いの助けを求めることを拒み、剣をもって抵抗したペテロに「あなたの剣をもとの所におさめなさい。」と命じたのである。

マタイ26:47-54

47 そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。

48 イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。

49 彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。

50 しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。

51 すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。

52 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。

53 それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。

54 しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。

 主イエスは、自分を歓迎しようとしなかったサマリヤ人の村を、「ボアネルゲス、雷の子」と呼ばれていたヤコブとヨハネの「助言」に従って、天からの火で焼き払っただろうか。逆に弟子たちを戒めなかったか。

ルカ9:52-56

52 自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようとしたところ、

53 村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった。

54 弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。 

55 イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。 

56 そして一同はほかの村へ行った。 

 ちなみに55節と56節の間に、いくつかの写本(Stephens 1550 Textus Receptus, Scrivener 1894 Textus Receptus, Byzantine Majority)には挿入文があり、KJVには以下のように訳されている。(赤字)

55 But he turned, and rebuked them, and said, Ye know not what manner of spirit ye are of.

56 For the Son of man is not come to destroy men's lives, but to save them. And they went to another village.

 新改訳の脚注には以下のような訳文がある。

異本

55 「そして彼らに言われた。『あなたがたは自分たちがどのような霊的状態にあるのかを知らないのです。

56 人の子が来たのは、人のいのちを滅ぼすためではなく、それを救うためです』」

 実際、主イエスは唯一義なる方であったのに、報復の霊ではなく、憐れみの霊によって父なる神の御心を行っていた。 

 残虐な性格だったと言われているローマ総督ピラトがガリラヤ人たちを惨殺したときに、主イエスはその同郷の人々の死に対する報復を命じただろうか。むしろ、憤りに燃えるユダヤ人聴衆の魂の永遠の救いを思い、彼らに悔い改めを求めなかったか。

ルカ13:1-3

1 ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。

2 そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。

3 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。

 そして主イエスはその神を畏れぬ暴政者ピラトにさえも、地上の国の王としてではなく真理の王としてご自分を直接啓示し、救いのチャンスを与えた。

ヨハネ18:36-38a

36 イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。

37 そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。

38a ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。

  十字架の死と復活に対する信仰を通して、主イエスの霊を与えられた信仰者は、その御霊の実を結ぶことを心から願い、その生き方によって、義と信仰と愛と平和とを追い求め、御子のように真理を証するように召されている。

ガラテヤ5:22-26

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、

23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。

26 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。

Ⅱテモテ2:22-26

22 そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。

23 愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。

24 主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、

25 反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、

26 一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。

 ゲツセマネの園で主イエスの身を守るため、短刀で大祭司のしもべの右耳を切り落としたほどのペテロは、救いを受けてから長年の信仰経験を経た一人の信仰者として、「人殺し、盗人、悪を行う者、他人に干渉する者として受ける苦しみ」と「クリスチャンとして受ける苦しみ」に明確な違いがあることを啓示している。

Ⅰペテロ4:14-16

14 キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。

15 あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。

16 しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。

 なぜなら「人殺し」や「敵意、争い、そねみ、怒りを行う者」に対する神の裁きは非常に厳格だからである。

マタイ5:21-22

21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。 

ガラテヤ5:19-21

19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、

20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、

21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。 

黙示録22:14-15

14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。 

 聖書は戦争について何と言っていますか?のように、黙示録に啓示されている、千年王国の前に主イエス・キリストが地上に裁きを行うことを引用し、「神さまが戦争を絶対に支持されないと言うのは間違いです。イエスは反戦論者ではありません。」などと神の義と人間の義を混同して主張する者は、二つの決定的に大事なことを忘れている。一つは、主イエス・キリストが、義と公平によって全てを裁く権能をもつ唯一の裁き主であること、そして二つ目は、私たち信仰者は他のあらゆる人々同様に罪びとで、もし神の正義について語ることが許されているとしたら、それはただひたすら神の一方的な恵みによって、自分たちの罪の赦しを受け、その罪の赦しの福音をまだ救われていない全ての罪びとたちに伝えるように召されているということである。

マタイ5:9

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

 キリスト者が「御父」と讃える神は、戦争や争いで一方的な「平和」を作り出すギリシャ神話の軍神アレースやローマ神話のマールス、ヒンドゥーのスカンダやカーリーではない。

 

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