an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

人は自分のまいたものを、刈り取る

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ヨブ4:8

わたしの見た所によれば、不義を耕し、害悪をまく者は、それを刈り取っている。 

箴言22:8

悪をまく者は災を刈り、その怒りのつえはすたれる。

ホセヤ8:7a

彼らは風をまいて、つむじ風を刈り取る。

ガラテヤ6:6-10

6 御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。

7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。

8 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。

9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。

10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。 

Ⅱテサロニケ1:6-10

6 すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。

7 それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。

8 その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、

9 そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。

10 その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。 

 「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」 この霊的法則は、自然界における法則以上に峻厳で妥協のないものである。それはイエス・キリストの恵みにおいても変わることはない法則である。実際、ガラテヤびとへの手紙において、使徒パウロは信仰者に対して語っているのである。

 「まちがってはいけない。」 時に、神の恵みに関する無知もしくは自分勝手な理解が、人を「間違わせ」、自分自身を欺いて「大丈夫。肉に撒いても、主の恵みがあるから何も生えてこない」と思い込むのである。しかし自分の撒いたものは、善であれ悪であれ、時が来れば必ず「芽を出す」ばかりでなく、いつしか必ず「刈り取ることになる」のである。

 ある教会の長老や会員を密かに扇動し、その教会を牧会していた牧師を追放させた牧師たちが、今度は自分たちの教会から不信任で解任されることになった。

 たとえ自分のことを信心深い者として自認していても、また長年にわたる信仰経験をもつ成熟し霊的な指導者だと自任していたとしても、舌を制することせず、不義を耕し、害悪をまく者は、その実を必ず自ら刈り取るのである。

ヤコブ1:26

もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。

 だから神を畏れ、聖書に啓示されている御心を喜ばす善を行うことを弛まず続けよう。

Ⅰコリント15:58

だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。 

へブル13:15-16

15 だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。

16 そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。