an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

誰が、どんな言葉が、

 手足の指を失い、家族から見捨てられ、社会からも見放され、ハンセン病患者として隔離された半世紀に及ぶ人生に、誰が、どんな言葉が、生きる力を与えたのか。

 自覚のないまま突然倒れ、検査の結果、末期の癌で余命一か月と言われ、病床で一人良心の呵責と孤独に苦悩するキャリアウーマンの心に、誰が、どんな言葉が、罪の赦しと平安を与えたのか。

 モデルを目指し、拒食症で骨と皮になった10代の女の子に、誰が、どんな言葉が、生きる本当の美しさを教えることができたのか。

 麻薬中毒になり、麻薬を買うお金欲しさに自分の母親を殴り、娘が生まれたときから嫁資として母親が少しずつ手縫いして作っていたレース付きのテーブルクロスやシーツを、二束三文で売っていた不良少年に、誰が、どんな言葉が、生きる希望と清い生き方を与えたのか。

 脳卒中で自分の名前も家族のことも認識できなくなっていた女性に、誰が、どんな言葉が、癒しと救いを与えたのか。

ルカ19:10

人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。 

Ⅰテモテ1:15

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。

Ⅰヨハネ4:9-10

9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。

10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。