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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

福音書は「贖罪」を語っていないのか(5)追記その2

 イエス・キリストは罪びとを救うためにこの世に来られ、十字架の上で命を贖いの代価として捧げた。

ルカ19:10

人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。 

 彼は神と人との唯一の仲介者として、そして救い主として、自分なしでは誰も救いを受けることができないことを啓示している。

ヨハネ14:5-6

5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 

ルカ10:21-22

21 そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。

22 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。 

 彼が「だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」「父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」と宣言する時、「キリストによって」「子が選んだ」という条件は正確な意味を持っている。それは「自分はイエス様が好き」と公言することでも、「キリスト教会に通い、洗礼を受けて会員になる」ということでもない。それはイエス・キリストが罪の奴隷である自分を、その十字架の死によって贖ってくださったことを信じることである。

 この救いの必要条件は、主イエスがユダヤ人の聴衆に語った言葉でも理解できる。

ヨハネ8:21-24

21 さて、また彼らに言われた、「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。そして自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所には、あなたがたは来ることができない」。

22 そこでユダヤ人たちは言った、「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。

23 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。

24 だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。 

 何という言葉だろうか。この聴衆は主イエスの言葉を聞きに集まっていたのだが、その人々に対して、「自分の罪のうちに死ぬだろう」と三回も繰り返している。そしてそれは、「もし私が上から来た者であることをあなたがたが信じなければ」という条件つきである。

 しかもただ天から父なる神の愛を人類に示すために来たのではないことは、続くイエスの言葉からも理解できる。

ヨハネ8:31-36

31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。

32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 

33 そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。

34 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。 

35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。

36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。 

 ユダヤ人たちはイエスを信じていたと書かれている。しかしその「信じる」は、主イエスが、罪の奴隷状態から真理によって解放するという目的をもって来られた事実の知識に基づくものではなかった。実際、彼らは自分たちがアブラハムの子孫であり、罪の奴隷ではないと考えていたので、主イエスの言葉に激しく反発しているのである。

 そして主イエスがご自身のことを「神から来た者」「アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」と宣言した時、彼らは主イエスのことを「サマリヤ人で、悪霊に取りつかれている」と侮辱し、そして石で殺そうとした。

ヨハネ8:37-59

37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。

38 わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。

39 彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。

40 ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。

41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。

42 イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。

43 どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。

44 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。

45 しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。

46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。

47 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。

48 ユダヤ人たちはイエスに答えて言った、「あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか」。

49 イエスは答えられた、「わたしは、悪霊に取りつかれているのではなくて、わたしの父を重んじているのだが、あなたがたはわたしを軽んじている。

50 わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。 

51 よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」。

52 ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろうと、言われる。

53 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。

54 イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。

55 あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。

56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。

57 そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。

58 イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。

59 そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

 新約聖書に啓示されている「贖罪論」を否定する者は、主イエスが原罪について語っておらず、人間を性善的な存在として扱っていたなどという無責任な解釈をするが、それは主イエスが神の子として人間の心を知り尽くしていたこと(ヨハネ2:24-25)を否定し、御子の死という代価を払ってでも人間の罪を取り除こうとしたその神の義と愛を踏みにじる解釈である。

 御子が十字架の上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばなければならかったことが、人間の罪の絶望的責任を啓示している。

 主イエスは言っている。私たち罪びとは、悔い改めて十字架の福音を信じなければ、皆、滅びてしまう存在である。

ルカ13:1-5

1 ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。

2 そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。

3 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。

4 また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。

5 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。

 


HOSANNA--Soweto Gospel Choir.wmv - YouTube

シンプルで力強い賛美。

弱き者が聖霊の力を得、貧しい者が天の富を喜び、盲目が神の栄光を見、罪びとが永遠の滅びから解放されるのは、ただひたすら、しみも傷もない神の子羊が私たちの罪を取り除くために屠られ、死から復活したからである。