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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

万人救済の福音の検証(7)怒りを下す神は、不義であると言うのか。

ローマ3:5-6

5 しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。

6 断じてそうではない。もしそうであったら、神はこの世を、どうさばかれるだろうか。 

 普遍救済論もしくは万人救済論は、「神は愛であるから、イエス・キリストの十字架の贖いによってすべての人はもうすでに救われている」と主張する。そして「不信仰に対する神の怒り」を否定、もしくは無視しようとする。

 しかし「神の怒り」と聞いて拒否反応を示すのは、別に普遍救済論を信じる心だけでなく、イエス・キリストの十字架に顕れている神の義を受け入れていないすべての人間の心に共通する「普遍的」傾向である。誰でも自分が罪びとであるといわれるのを素直に受け入れようとはしないし、「神を信じようとしない不信仰に対して神の怒りがその上に留まる」と聞いて、「何それ」「バカバカしい」と憤慨し、その心には神の正義に反抗心を感じるものである。

 実際、以下の聖句と向き合えば、その人間の心の性質は明確に理解できる。

ヨハネ3:36

御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。

ローマ1:18

神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。

ローマ2:5-8

5 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

6 神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。

7 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、

8 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。

エペソ5:5-6

5 あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。

6 あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。

コロサイ3:5-6

5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。

6 これらのことのために、神の怒りが下るのである。

 このような心の現実があるからこそ、冒頭に引用した聖句にある「怒りを下す神は、不義であると言うのか」という問いかけを、レトリックな問いとして扱うべきではなく、それは信仰者も含め、全ての人間一人ひとりが真摯に考えるべきものである。

 私たちが神の正義を受容しないで批判するとき、それは必然的に「神は不義である」と宣告している。そして私たちが神を不義不当と批判するとき、それは大概、自分の置かれている立場を理解していないからであり、さらに重要なことは、父なる神がその罪に対する怒りを私たちの代わりに御子に下した、という神の義の啓示を体験的に知らないからである。

ローマ3:21-26

21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。

23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。 

 「体験的に知らないから」と書いたが、実際、二十世紀の多くの神学者たちやその神学を鵜呑みにした人々は、聖書に書かれている御子の十字架の死の啓示を前に、「怒りを下す神は不義である」と説いた。「愛の神が、罪びとの代わりに自分の子を見殺しにするなど倫理的にあり得ない」「恐ろしく冒涜的である」と。似たような動機で、イスラム教の人々はイエス・キリストが十字架の上で死んだことを否定する。

 しかし聖霊の光によって、御子の身代わりの死が、私たち罪びとの罪を完全に赦し、救いに至らせるための「唯一の方法」、「他にはあり得ない神の義」であったことを悟るとき、その時はじめて、真の意味で「神は愛なり」という啓示をも体験し、「御子を喜ぶ神」を喜べるようになるのである。

ローマ5:6-11

6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。 

 

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