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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(14)邪悪な選択の本質

ローマ1:28-32

28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。

29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、

30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、

31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。

32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。  

 「彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。」

文語約:神を心に存むるを善しとせざれば、

岩波訳:神を認識することを彼らが是としなかったので、

新改訳:彼らが神を知ろうとしたがらないので、

塚本訳:彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、 

 人間が生ける神を知ろうとせず、その知識を侮蔑するゆえに、神は人間が自分本位に善悪を定め、為すべからざる事を正当化し、為すままに任せられた。その例として、約束の地を与えられたイスラエルの民が、自分たちの神を王として生きるよりも、一人の弱き人間を王することに固執した時、神が民のなすままに任せられたエピソードがある。

Ⅰサムエル8:4-22

4 この時、イスラエルの長老たちはみな集まってラマにおるサムエルのもとにきて、

5 言った、「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今ほかの国々のように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」。

6 しかし彼らが、「われわれをさばく王を、われわれに与えよ」と言うのを聞いて、サムエルは喜ばなかった。そしてサムエルが主に祈ると、

7 主はサムエルに言われた、「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。

8 彼らは、わたしがエジプトから連れ上った日から、きょうまで、わたしを捨ててほかの神々に仕え、さまざまの事をわたしにしたように、あなたにもしているのである。

9 今その声に聞き従いなさい。ただし、深く彼らを戒めて、彼らを治める王のならわしを彼らに示さなければならない」。

10 サムエルは王を立てることを求める民に主の言葉をことごとく告げて、

11 言った、「あなたがたを治める王のならわしは次のとおりである。彼はあなたがたのむすこを取って、戦車隊に入れ、騎兵とし、自分の戦車の前に走らせるであろう。

12 彼はまたそれを千人の長、五十人の長に任じ、またその地を耕させ、その作物を刈らせ、またその武器と戦車の装備を造らせるであろう。

13 また、あなたがたの娘を取って、香をつくる者とし、料理をする者とし、パンを焼く者とするであろう。

14 また、あなたがたの畑とぶどう畑とオリブ畑の最も良い物を取って、その家来に与え、

15 あなたがたの穀物と、ぶどう畑の、十分の一を取って、その役人と家来に与え、

16 また、あなたがたの男女の奴隷および、あなたがたの最も良い牛とろばを取って、自分のために働かせ、

17 また、あなたがたの羊の十分の一を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう。 

18 そしてその日あなたがたは自分のために選んだ王のゆえに呼ばわるであろう。しかし主はその日にあなたがたに答えられないであろう」。

19 ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、「いいえ、われわれを治める王がなければならない。

20 われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」。

21 サムエルは民の言葉をことごとく聞いて、それを主の耳に告げた。 

22 主はサムエルに言われた、「彼らの声に聞き従い、彼らのために王を立てよ」。サムエルはイスラエルの人々に言った、「あなたがたは、めいめいその町に帰りなさい」。

 「わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。」 ご自身の民に捨てられ、王として受け入れられない神の姿は、御子イエスにおいて完全に啓示された。

ヨハネ19:14-15

14 その日は過越の準備の日であって、時は昼の十二時ころであった。ピラトはユダヤ人らに言った、「見よ、これがあなたがたの王だ」。

15 すると彼らは叫んだ、「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」。ピラトは彼らに言った、「あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか」。祭司長たちは答えた、「わたしたちには、カイザル以外に王はありません」。 

 祭司長たちや民衆は、イエスを十字架につけて殺すために、自分を神とするローマ皇帝を自分たちの王である、と宣言しているのである。彼らには律法が与えられていなかったのか。エルサレムの神殿でイスラエルの神を礼拝しているのではなかったのか。

 どのような言動にも必ず、その結果と自己責任が伴う。神は人間に対して、ご自身を拒否し、冒涜し、取り除くことさえする「自由」を与えている。そしてその「自由」には、必ず結果と責任が伴うのである。

 そして「人間が生ける神を知ろうとせず、その知識を侮蔑する」結果は、まさに悲惨である。

彼らは、

あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、

ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、

また、

ざん言する者、

そしる者、

神を憎む者、

不遜な者、

高慢な者、

大言壮語する者、

悪事をたくらむ者、

親に逆らう者となり、

無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。

 そして、それらの責任に対する神の裁きを知りながらも、それを畏れず、逆に自分の邪悪さと不遜と不敬虔を正当化するために、自分が神を信じないだけでなく、神を信じる人々の信仰を否定することに喜びを感じ、真理を探し求める人々を邪魔をしようとする。

彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。  

 サタンもしくは悪魔の本質は、神の否定であり、善の否定である。彼は創造主ではなく、堕落した被造物であるがゆえ、自分が王となれる、神のいない別の世界を創造することができない。ただ自分が否定する神が創られた世界に「寄生」し、それを蝕むことを自らの存在意義とするしかないのである。まさにその「存在の寄生性」のゆえに、神の最終的な裁きを完全に認識しながらも、それから自由になることはできないのである。むしろ多くの人々を巻き込むことによって、神の裁きに対する恐怖を否定しようとしているのである。

 今はキリストの属する者と自覚する人々も、かってはその悪魔に無自覚に従っていた。しかし神は御子の犠牲を通して、そのような奴隷状態から解放して下さったのである。

エペソ2:1

1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、

2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― 

6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 

7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。

8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 

9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。

10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。