an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(12)弁解の余地のない者を弁明する「キリストの血」

ローマ1:18-25

18 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 

19 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。

20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。

21 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。

22 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、

23 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。

24 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。

25 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。 

【弁解】言いわけすること。言い訳。

 親友同士の待ち合わせに遅れてしまった場合、心からの「ごめん」の一言で済むだろう。待たされた方は、一言文句でも言ってあとは忘れてしまうだろう。勤め先に遅刻してしまったら、 当然「ごめん」は使えない。大事な商談の約束に遅れたら、何度も丁重に謝って事が済めばまだいいほどで、次のチャンスを失う可能性のほうが高いだろう。しかし、全く弁解が許されないケースもある。人の命を預かっている医師などが、緊急の手術の時に、怠慢が理由で遅れた場合、そしてそれが原因で患者が命を失うことになった場合、法律では決してカバーできない親族の怒りが燃え続けることだろう。

 このように要求されている責任に応じて、弁解の言葉は変わり、その許容範囲も大幅に変わってくる。

 被造物である人間は、やがて来る裁きの座の前にたった一人で立たされるとき、それまで存在を否定し、嘲笑し、冒涜の言葉を吐いていた、目に見えない創造主の前で何を言えばいいのだろうか。

 あなたがふざけて吐き出す冗談で笑っていた友人は、あなたの隣にはいない。あなた以上に汚い言葉で冒涜し、あなたを強気にさせてくれた友人はどこにいるのか。あなたをたしなめていた「空気を読めない正義ぶったクリスチャン」さえも、あなたの近くにはいない。あなたひとり、である。

 あなたは目の前の御座に一人の人を見る。あなたは悟るだろう。その方があなたの救いにために命を犠牲にした御子イエスであることを。その臨在は、言葉にはならない「ことば」としてあなたの心を貫くだろう。「私はこの方を全く知らない」

 信仰者だからと言って、弁解の余地があると思ってはならない。私たちの善行も人々の評価も、私たちが「為すべきことを為さなかったこと」や「為してはならないことを為したこと」を弁解してはくれない。

 私たちも御子の前に一人で立つのである。そして私たちを弁解してくれるものは、ただ一つ、「御子の尊き血」である。

ローマ5:8-9

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。 

Ⅰペテロ1:17-19

17 あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。

18 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、

19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。 

Ⅰヨハネ2:1-2

わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。

2 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。