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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(9)福音のうちに啓示されている神の義

ローマ1:17(口語訳)

神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

文語訳

神の義はその福音のうちに顯れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し。

新改訳

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

新共同訳 

福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

岩波訳

神からの義はその福音において啓示されるのであり、それは信仰から出て信仰へと至るのである。次のように書かれている。信仰によって義〔とされた〕者は生きるであろう。

 前田訳

そこに、信仰から信仰へという神の義が示されています。聖書に、「信仰による義人は生きる」とあるとおりです。 

塚本訳

信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、この福音において現わされているからである。『信仰による義人は生きる』と(聖書に)書いてあるとおりである。

  • 神の義は、福音の中に啓示されている。神の正義であって、ある特定の宗教や人間の正義ではない。唯一の神の絶対的正義である。そこには曖昧さはなく、また悪による「しみ」や「キズ」もない。それは、正しいことをしたくてもできない無力な人間を容赦なく裁く正義ではなく、自分のその罪を認め、悔い改め、救いを信じる者の罪を赦す神の正義である。また福音(「良き知らせ」という意味)は、人間が他の人間を喜ばすために考案した「良い知らせ」ではなく、ある一人の宗教家が受けとったという「天からの言葉」でもない。「神の福音」であり、「御子に関するもの」であり、「御子の福音」である。

ローマ1:1-3a

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―― 

この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、 御子に関するものである。

ローマ1:9-10

わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。

 その福音の「中に」神の義が啓示されているのである。その福音の「外」ではなく、「中」である。「福音の外」にあるものは、被造物において認めることができる「神の見えない性質」や「神の永遠の力と神性」であり、その普遍的啓示にもかかわらず神を認めようとしない人間の不信心と不義に対する、正当な神の義の顕れである「神の怒り」である。

ローマ1:18-20

18 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。

19 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。

20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。

 宇宙とその中に存在するものは、現在知ることができるものだけでも、すべてにおいて驚異的であり、美しく、力強く、偉大で、言い表しがたい畏敬と讃嘆の念を見るものに与える。それにもかかわらず、人間は被造物自身の探求だけに時間を費やし、立ち止まってそれらを創られた創造主を探し求めようとはしない。そのような人間の不信心や不義のために、神の正当な「怒り」が天から啓示されているのである。

 しかし、神はそのような人間が真の神を知ることができるように、福音を通して福音の中に神の義を啓示してくださったのである。

  • その神の義の啓示は、終始一貫して「信仰による」ものである。教会に毎週通い、聖書を一生懸命学び、よく奉仕すると神の義がより啓示されるのではない。神学部で教え、神の義に関して何冊も神学書を書いている神学者も、自分で聖書を読むこともままならない闘病の中、救いを受けたばかりの信徒と同様に、「信仰によって」神の義の啓示をキリストのうちに見い出すのである。
  • 「義人はその信仰によって生きる」。預言者ハバククが、疑問と当惑の中で一人、主なる神の前に立ち、受けたこの啓示は、キリストの使徒らによって三度も引用され(ローマ1:17;ガラテヤ3:11;へブル10:38)、偽りの闇の中でもがき苦しんでいた修道僧の良心を照らし、「信仰のみ」という真理の礎の上に固く立たせ宗教改革へと導き、時代を超えて数えきれない信仰者を生み出し、支え、希望を与え続けている啓示である。

 

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