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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(6)ローマの聖徒たちの信仰

ローマ1:6-8

6 あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである――

7 ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

8 まず第一に、わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、わたしの神に感謝する。

 この『ローマびとへの手紙』は、使徒パウロの口述筆記によって書かれた手紙(ローマ16:22によると筆記者はテルテオ) だが、書かれた正確な年代には諸説がある。使徒パウロがギリシャのコリントにいる時期に書かれたという説が有力なのは、手紙の中に記されている信徒らの名前による。

ローマ16:1-2

1 ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する。

2 どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。

 ケンクレアはコリントの町の近くの港町で、フィベはその町の教会の女性執事であった。使徒パウロのこの姉妹に対する信頼は非常に高かったようで、この手紙をローマの教会に送り届ける重大な任務を彼女に委ねている。勿論、彼女が一人でローマまで旅行したとは考えられないが、少なくとも使徒パウロは彼女にとても重要な手書きの手紙をゆだね、そのためにローマの教会に彼女を推薦しているのである。現代のように飛行機でローマまで数時間で簡単に行ける時代であっても、現代の宗教組織の上層部の人々に、使徒パウロと同じような感覚はあるだろうか。時々、使徒パウロが男尊女卑論者であったとか、女性嫌いであったという皮相的な意見を見かけるが、この個所を読むだけでも、男性と同じように女性に対しても、尊敬と信頼を示すべき人物にはそれを実践的に示すことを決して惜しまなかったことが明確に記述されている。

 他にもコリントの教会と関係があると思われる名前が記されている。

ローマ16:23

わたしと全教会との家主ガイオから、あなたがたによろしく。市の会計係エラストと兄弟クワルトから、あなたがたによろしく。

Ⅰコリント1:14

わたしは感謝しているが、クリスポとガイオ以外には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けたことがない。

 年代的には正確な数字はわからないが、だいたい西暦55年ー58年頃に書き送られたと思われる。

 しかし特に重要な点は、使徒パウロがこの手紙をローマにある教会に書き送った段階で、そのローマの信徒たちの信仰は他の教会によく知られる程、非常に成長し、成熟していたことである。

わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、わたしの神に感謝する。

  使徒パウロが伝道し、立ち上げた小アジアやマケドニア、ギリシャの教会とは異なり、ローマには非常に早い時期からキリスト信者がいて、礼拝を捧げていたのである。おそらく、ペンテコステの日にエルサレムに来ていた人々のうちの「ローマ人」には、それこそローマ帝国の首都ローマから来ていた巡礼者もいて、その人たちが新生体験し、その信仰の証をローマに持ち帰ったのではないか、と言われている。

使徒2:7-11

7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。

8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、

10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、

11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。

  そしてローマの教会は、西暦49年に当時のクラウディオ皇帝の命令により、ローマから追放される体験もしていた。またその追放の原因であったともいわれている、度重なるユダヤ人からの迫害や激しい妨害行為も体験していた。

使徒18:1-2

1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。

2 そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。 

 それでも、このアクラとプリスキラ夫妻のように、時をみて再びローマにもどり、自分の家を共同体のために開放し、礼拝を捧げ続けていたほど、揺るがない基礎をもった成熟した教会だった。そのローマにいるアクラとプリスキラに、パウロは手紙の中であいさつを送っている。

ローマ16:3-5

3 キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。
4 彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。

5 また、彼らの家の教会にも、よろしく。わたしの愛するエパネトに、よろしく言ってほしい。彼は、キリストにささげられたアジヤの初穂である

 このような霊的に成熟した教会を「ベース・キャンプ」として、教会に送り出され(宣教に関する経済的支援も含まれていた)、イスパニヤ(スペイン)まで宣教に行きたいと計画していた使徒パウロが、そのまだ直接しらぬローマの教会に、自分が受けたキリストの福音の知識のすべてをまとめた壮大な「神学書」を書き送ったのは、至極当然なことではないだろうか。

ローマ15:23-24

23 しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤに赴く場合、あなたがたの所に行くことを、多年、熱望していたので、――

24 その途中あなたがたに会い、まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら、あなたがたに送られてそこへ行くことを、望んでいるのである。