読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」と命じた神

聖書 救いへの一歩

創世記22:15-18

15 主の使は再び天からアブラハムを呼んで、

16 言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、

17 わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、

18 また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。 

イザヤ49:6

主は言われる、「あなたがわがしもべとなって、ヤコブのもろもろの部族をおこし、イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、いとも軽い事である。わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせよう」と。

 主なる神は、アブラハムの信仰によってもろもろの国びとが祝福を受けることになることを約束し、多くの預言者の口を通して、その祝福が「来るべきメシアによる救い」という形で実現することを予告しておられた。

 そして救い主としてイエス・キリストは、弟子たちにその「救いの良き知らせ」を委ね、「全世界に出て行って」「もろもろの国民」に宣べ伝えることを命じた。

マルコ16:15

そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 

ルカ24:45-47

45 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて 

46 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。

47 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。

 その福音宣教のスタートにおいて、その源泉と力が全世界をつかさどる神、あらゆる国の人々の言語さえもつかさどる神によるものであることを証明するため、ガリラヤの漁村出身だった弟子たちに、メソポタミヤ地方や小アジア地方、アラビア半島、北アフリカの各地の言語を使って、神の大きな働きを述べる賜物を授けた。

使徒2:4-11

4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、

6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。

7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。

8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、

10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、

11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。 

 そして主なる神はタルソのサウロを「異邦人の使徒」として選び出し、ギリシャ人だけでなく、ギリシャ語を話さない「未開の人(βάρβαρος barbaros)」や、黒海の北、現在のウクライナ地方に住んでいた「スクテヤ人」にも福音を伝えたいというパッションを与え、実際に「エルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たす」力と知恵を授けた。

ローマ1:14-15

14 わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。

15 そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。

ローマ15:19

しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。

コロサイ3:11

そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

 このように、地の果てに住むすべての国民を救う計画を天地創造の前から備え、御子イエスの全人類の贖罪の死を通して実行し、聖霊の力によってキリストの証人を送り出した主なる神が、各地の言語の違いに戸惑い、聖書翻訳の問題でその「救いの光」を覆い隠してしまうことなどあるだろうか。二千年前に使われていたヘブライ語やギリシャ語の中に、その恵みの啓示を閉じ込めておこうとするだろうか。

 むしろ「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」と命じた神は、全世界に住む人々がそれぞれの母国語で生ける神と個人的な交わりをすることを選ばれたのである。

 アッカド語を話していたアブラハムに個人的に語りかけていた主なる神は、日本語を話すあなたの心に日本語の聖書を通して語りかけることができる方であり、あなたが祈りの中に日本語で「神様、私を助けてください」と叫べば、その祈りに答えてくださる方である。そしてたとえあなたの祈りが言葉にならない魂のうめきであったとしても、それさえも受け止め、祈りの中で共にいてくださる方である。

ローマ8:26-27

26 御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。 

 

関連記事:

言語を超えたイエス・キリストとの霊的交わり(1) - an east window